祖父の代から討ち入り合わせ飾る「我が家(鯖江市若竹家)の宝」、忠臣蔵・内蔵助の書状
江戸時代に吉良上野介を討った赤穂浪士を率いた大石内蔵助の書状が、福井県鯖江市の民家に残されている。専門家によると書状は代筆されたもので、大石の普段の仕事ぶりがうかがえる内容となっている。署名代わりの「花押(かおう)」が直筆。この民家では、吉良邸に討ち入った元禄15年12月14日(1703年1月30日)にちなみ、毎年この時期に書状を家に飾っており、歴史に名を刻んだ忠義の士に思いをはせている。
書状を所蔵しているのは若竹健治さん(75)。健治さんの祖父留作さんが生前、近くの本家からもらい受けたもので、本家にどのように伝わったかは不明。健治さんが物心ついたころから、12月に入ると床の間に飾られていた。「他の家では天神様を飾っているのに」と不思議に思っていたという。
縦30センチ、横40センチの和紙に書かれた文字は、流れるような字体で何が書いてあるのかさっぱり分からなかったが、「大石内蔵助」の署名だけは読み取ることができた。歴史的人物の書と思い大切に扱っており、祖父、父親が亡くなった後も変わらず年の暮れに飾り続けている。
大石や赤穂藩の史料を多く所蔵する赤穂大石神社(兵庫県赤穂市)の飯尾義明宮司によると、書状は大石の書記役が記したもので、花押は大石の直筆に間違いないという。宛先は赤穂藩に隣接する岡山藩の家老津田左源太。津田が江戸での勤めを終え無事に岡山藩に戻ったことを祝う内容で、「江戸でのお勤めお祝いかたがたごあいさつ申し上げます。また、お便り致しましょう」と締めくくられている。
年代は不明だが、討ち入り前に書かれたとみられる。大石の書状は多く残っておらず、飯尾宮司は「大石の平素の仕事ぶりがうかがえる数少ない史料」としている。
若竹さん宅では今年も床の間に大石の書状を飾った。「遠い昔に書かれたもので歴史の重みを感じる」と若竹さん。「大石内蔵助のことや祖父から書状を受け継いだことを息子にも伝え、これからも大切にしていきたい」と話している。
引用・参考元 福井新聞
画像引用 http://soonhome.jp/connect/post?id=181587644649586693
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