あんぽ柿発祥の地・本年3月閉校の「福島県伊達市の五十沢小学校」 最後に上京し郷土の特産品をPR
あんぽ柿発祥の地、福島県伊達市五十沢(いさざわ)地区(旧五十沢村)の市立五十沢小学校が143年の歴史に幕を閉じる。同校は長年、産地PRに協力してきた。東京電力福島第1原子力発電所事故で出荷できなかった時もイベントなどを通じ、風評被害に苦しむ農家を勇気づけた。5日は全児童が上京し、閉校前の最後のあんぽ柿PRイベントを仕掛け、農家の思いを代弁した。
■地域の誇り 児童が代々学習■
同地区でのあんぽ柿普及のきっかけをつくったのが同校だった。1929年に農業教師として赴任した故・佐藤昌一先生が、あんぽ柿をきれいな色のままおいしく加工できる硫黄薫蒸製法を確立し、地区の特産品としてに拡がった。同校では、児童があんぽ柿を必ず学習し、収穫や皮むきなどの手伝いもしてきた。栽培農家のほとんどが同校の卒業生でもあるという。
■原発事故で加工自粛も■
この全国屈指の産地が原発事故で苦境に追い込まれた。加工を自粛せざるを得なくなった。2013年から加工再開モデル地区に限るなど一定の条件で出荷しているが、現在も地区の農家は、真冬の除染作業などを続けている。
あんぽ柿 閉校前 最後に上京PR 発祥の地・福島県伊達市の五十沢小学校・都会で飾られるあんぽ柿を見詰め、最後のPRに励む子どもたち(5日、東京・銀座で)苦境の農家 思いを代弁
産地の支えになったのが、同校の存在だ。あんぽ柿を作れない期間も、児童があんぽ柿の歴史を農家に聞いて地区のイベントで発表した。出荷再開時は、地元での勉強や栽培の手伝いだけでなく、東京であんぽ柿の復活をPRした。
柿1.8ヘクタールを栽培する岡崎邦弘さん(43)は「震災後、あんぽ柿を作れなくなり、農家はやる気を失いかけた。そんな時、応援してくれる子どもらの姿に力をもらって今、出荷ができている」と感謝する。
昭和初期に300人を超えていた同校の児童数は現在23人と少ない。しかし、閉校を惜しむ声は地域から続出している。
同市農林業振興公社の梅津善幸事務局長は「五十沢の子どもは、あんぽ柿が地域の誇りだと教わり成長する。原発事故を乗り越えようとする中での閉校は寂しい」。同校の佐藤悟校長も「発祥の地でなければできない地域密着の教育を長年、受け継いできた」と説明する。
■首相夫人にも福島をアピール■
5日は全児童が永田町の首相公邸を訪れ、歴史や加工方法を発表した。安倍昭恵首相夫人らに、児童が手伝って完成させたあんぽ柿もプレゼントした。
6年生の曳地仙一君(12)は「今も原発のせいで大変な苦労をしている農家の思いを知ってほしい」とアピールした。3年生の岡崎香凛さん(9)は「小さい時からあんぽ柿を食べて育ったので、学校がなくなってもあんぽ柿の勉強は続けたい」と話した。
安倍首相夫人はこの児童たちの思いを何と聞く! きちんと児童と農家の思いを受け取るべきだ!
あんぽ柿の歴史を繋いできた同校は、惜しまれる中3月に閉校となる。
記事・画像引用元 ヤフーニュース [日本農業新聞]
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