【信州探訪】 覚音寺の重要文化財 千手観音像、持国天・多聞天像 ご住職直々のご案内を戴く!大町市八坂 

旧八坂村は現在大町市に編入されている。ここは標高も高く、携帯電話が圏外で通じなくなる箇所も多い。義妹がここの出で法事があったので来たのだが、早く着き過ぎてしまい、時間調整をしようと思ったのだが、さて余り来たこともないところなので思い当たる名所も思い浮かばず、「どうしたもんじゃろのう!?」と思いながら車を走らせていたら、「重要文化財 千手観音像、持国天・多聞天像、藤尾覚音寺 入口」という案内板が目に入った。

とにかく脇道に入って車を走らせたが、山道で、行けども行けどもそれらしきところに出ず、峠道を走るだけなので、さては道を間違えたのかと心細くなった。一旦戻ったが、小さな部落があり、お寺らしきものものもなかったので、もう一回おなじ山道を走った。
途中坂道を上がってきた車とすれ違ったが、後ろからも、車は来ず、こんな山の中に本当に寺があるのかと再び不安になった。戻った部落から20分くらい走ったところでやっと覚音寺の本堂が見えてきた。

車を止めて、境内に入ろうとしたら、車が1台駐車場に入って来た。「あれ!?自分の他に、こんな山奥のお寺に来る酔狂な奴がいるんだなあ?」と思っていたら、な・なんと当寺のご住職だった。「いや~!こんな山奥の寺にようこそお越し下さいました!」と声を掛けて戴きました。「こんな山道を来るのは当寺に参拝しに来て下さったに違いない!」と思って、出掛けたのだが、車をUターンして、態々戻って来て下さったとのこと。恐縮してしまった![先ほどすれ違った車がご住職の車だったのだ!]

勝手に境内を回って、写真でも撮ろうと思っていたのだが、急遽ご住職直々のご案内を受けての参拝になってしまったぞ! いやはやえらい事になってしまった! 藤尾の覚音寺(カクオンジ)は「藤尾の観音さま」と呼ばれ、古くから遠近の人々に尊ばれ親しまれ、ご本尊様は「十一面千手観世音菩薩立像」で脇侍の持国天・多聞天像とともに、国の重要文化財に指定されている由緒あるお寺であることが分かった。かつて十二ヶの坊を有する大寺で、その創建は平安時代の初期にまで遡るそうです。

この寺に本尊の千手観音が施入されたのは、平安時代末期の治承3年(1179)、今から800年以上も前の話です。当時あまり例がなかった、寄木造りの像であり、昭和9年の仏像の解体修理の際、観音像の胎内から「墨書木札」1枚、「紙本千手観音摺仏」28枚、「白銅鏡」1面が発見され、文化的意義の大きい仏像であることが判明しました。

その木札によると、当時大町を中心にして広く北安曇地方を治めていた豪族の仁科盛家が、現世の安穏や所願の成就を願って、千手観音を造り覚音寺に寄進した旨認めてあったとのこと。
千手観音の造像の技法や彫り方には平安以前の古風な作りになっており、脇に立つ持国天・多聞天像も背に彫られた陰刻銘には建久5・6年(1194・95)とあるにもかかわらず、これも四天王にありがちな力みさがなく、穏やかな彫り方で、本尊様と同じく、古風なものを感じさせ、3体が同じような趣の像になっているそうです。

なにせご住職直々のご案内を戴いての参拝なので、緊張と冷や汗の連続で、生きた心地(大げさな!)がしなかったです!はい!

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