同じ死ぬなら「がん!」というのも悪くはない!自分なりの人生を締め括ることが出来る死に方だ!

同じ死ぬなら「がん!」というのも悪くはない!自分なりの人生を締め括ることが出来る死に方だ!

長野県には、佐久に「ぴんころ地蔵」というお地蔵さんが居る。そして「ぴんぴんころり!」という言葉もある。寝た切りになって、長い間床に臥せって、病に苦しんで死ぬのではなく、今の今まで、ぴんぴん元気で動いていて、苦も無くアッという間にころりと逝きたいという願望を言っているのだ。しかしホスピス医として、2500人以上の末期がんを診てきた小野寺時夫医師は、「かなりの高齢者や、高度の認知症患者、社会的にも、家族的にもリタイアして、責任がない場合なら、「ぽっくり逝く」のも悪くはないかも知れない。しかしその立場にない場合は、周囲に経済的困窮や、後継者問題、遺族に癒せぬ傷を残したりする。

それに比べ、がんの場合は、例外はあるが、多くの場合、がんと判明してから、死ぬまでに、数ヶ月~数年間に亘り、普通通りに生活できる時間的猶予がある。長いか短いかの感じ方の差はあるものの、その時間を使って、自分のやりたいことをやり、残された時間を濃密に過ごしたり、身の回りの整理も出来、家族との別れも心置きなくできる。確かにがん死においても、辛い面もあるが、自分でも思ってもいなかったある日突然に逝ってしまうよりも、確かに良い面であると思う。(いずれにしても寿命というものがあり、この世を去ることには違いないが!)

ただしがんによって安らかな死を迎える為には、患者もがんそのものや、治療というものを勉強し、賢い治療の方向を選択する必要がある。例えばがんが周辺臓器組織に浸潤していたり、転移していたりした高度進行がんや、高齢者の場合など無理な手術は好ましくなく、改善どころか、重篤な後遺症に苦しめられたり、却って命を縮めたりする。日本のがん治療では、切除手術一辺倒で、とにかく「切りたがる」傾向が強いと言われる。。通過障害の対処や、放射線治療の方が延命効果が良い場合も多い。患者側が、よく勉強していれば「選択」の余地も充分ある。自分の命に関わることを、一方的に医者に任せてはいけない。

がん治療も、そういうことに注意すれば、必要以上の痛みや、不調が出ることは少ない。治療は最後は苦しんで死ぬというのも治療次第(或いはしないことを含め)であるといえる。穏やかな最期を迎えるために必要なことはなにか? 「自分なりの人生観を持っていること。そうすれば人生の終わらせ方も自ずと見えてくる」と前出の小野寺時夫医師はいう。がんの場合は、それを成し遂げる時間が確保出来るというのだ。「がんで死ぬのも悪くない」という理由だ!

コメント

タイトルとURLをコピーしました