郵便番号の不思議!何故北から南へと一直戦ではないのか!? 「沖縄」の次が「福井」の 不思議!?
郵便を出す際に記入する7桁の郵便番号。全国各地に割り振られた番号の規則性は独特だ。北海道・東北北部は上1桁が「0」で、東京は上1桁が「1」の地域が多く、東京から九州・沖縄へと向かうに従って数字は増えていくが、九州・沖縄まで行った後、なぜか北陸・東北南部に上1桁「9」があてられている。正月に全国各地へ年賀状を送った人は気になったかもしれない。はがきの62円への値上げも6月に控える。郵便番号の素朴な疑問を調べてみた。
■基本的なルールは「東京→沖縄」後に「北陸→北海道」■
日本郵便(東京都千代田区)の経営企画部広報室に聞くと、郵便番号の上2桁は地域番号と呼ばれ、全国を00〜99までの100の地域に分け、基本的には各県ごとに一つの地域番号を設定している。東京など郵便物の取り扱いが多い地域は複数の地域番号が割り振られているという。
基本的なルールは「10〜20」の東京都を起点に、以降は関東の各県に割り振られた後、東海、近畿、中国と西に向かいつつ数字は増えていく。その後は四国、九州と続いて沖縄の「90」で南下は終了。次は福井の91に行き、北陸から東北・北海道へ北上し、「99」の山形以降は、秋田は「01」、岩手は「02」と上1桁「0」の地域となるように設定されているという。1968年に郵便番号制が導入されて以来、98年2月に7桁化されるなど変化はあったが、大まかな各県への振り分け方のルールは変わっていない
■郵便物の流れの量を考慮した順番 鉄道の時刻表とも共通点■
なるほど。「9」の後に「0」が来ると位置づければ「道筋」が見えてくる。それにしても、なぜこのような順番に決まったのだろうか。経緯などをもう少し詳しく知りたいと思い、郵便の歴史について紹介している郵政博物館(東京都墨田区)の石井里佳学芸員に聞くと、「(上1桁が)1を東京にあてたのは、当時、郵便番号を読み取って宛先別に郵便物を分ける自動読み取り区分機で読み取りやすく、郵便物の量が非常に多いという理由からです」と説明された。
以降の番号は当時の郵便物の主要な流れに従って東海道、山陽道に沿って数字が増えていき、九州・沖縄に番号を割り振った後、北陸から東北・北海道に戻った。これは、近代郵便が1871年に創業された際、東京、京都、大阪の3都市を拠点に東海道の各宿場で郵便の取り扱いが始まり、山口県下関市、長崎市と西へ範囲が広がった後、1872年に全国に範囲が広がった歴史と類似点が多いという。東海道線、山陽本線から始まって東北、北海道が後になる点は、鉄道の時刻表にも似ている。
また、当初「00」は地域番号になかった。しかし、札幌市に郵便局が新設されたことを受け、「04」〜「09」が割り振られていた北海道で使われている。また、制定当時、本土復帰前だった沖縄には、返還を見据えてあらかじめ「90」を確保していた。
■機械化に伴って導入された郵便番号 定着には数年かかった経緯も■
そもそも郵便番号は1968年、郵便物に書かれた数字を読み取る区分機が導入されることを受けて定められた。
55年度から65年度にかけ、郵便物が約49億通から約96億通と2倍近く増えた(現在は約180億通)。石井さんは「郵便番号の導入前は、郵便物を処理する作業のうち、区分けの作業が約7割の負担を占めていたとされています。全国の地名や郵便局の配置を知るベテラン職員による熟練の技がないと、とても時間がかかってしまう作業だったのです。番号を導入したことにより、機械の処理が可能となっただけでなく、機械がない局でも数字で区分することができるようになり、能率が上がりました」と解説する。当時の区分機は1分間に約360通を処理することができた。ベテラン職員の約7倍の速度だったという。
また、読み取り機に通すには一定のサイズに郵便物の大きさを収める必要がある。66年に郵便法が改正され、封書などの第1種郵便物に「定形」と「定形外」の区分けができたのも、機械の導入に伴うものだった。
68年9月8日の毎日新聞家庭面は、導入から約2カ月たった郵便番号について「相手の番号を探すのに手間が掛かる」「郵便局の仕事の一部を肩代わりさせたようなもの」という主婦の声を紹介するなど批判の声もあったようで、記載率は実施1年後は、約65%。2年後に90%、3年目でようやく96%に達した。効率的な配達に欠かせないことは、現在は周知されている。
■市外局番は「北から南へ」 沖縄「098」鹿児島「099」の理由は?■
ちなみに電話の市外局番は、北海道から南下するに従って数字が増えていくという規則性が見て取れる。
「011」の北海道から「099」の鹿児島まで、上3桁で都道府県が識別できることを考慮して、割り振られている。NTT東日本(東京都新宿区)の情報通信史料センタによると「1956年の東京、大阪の電話帳に市外局番での電話のかけ方が書かれており、遅くともその年には一部の地域で市外局番が使用されたと考えられます」という。
沖縄が「098」、鹿児島が「099」となっているが、「具体的に資料がないので、推察の話ですが、72年5月に沖縄が返還された際、すでに市外局番の番号『099』まで各都道府県に使い切ってしまっていました。そこで人口を考え、『099』の鹿児島よりも、宮崎が使っている『098』が将来の加入者数の増加にも耐えうる空きがあったので選ばれたのではないでしょうか」と解説した。
記事・画像 引用・参考元
Excite News <毎日新聞社>【大村健一/デジタル報道センター】
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