【神社仏閣名所旧跡巡り】 天神社(須坂市福島町) 狛牛と大幟で有名な神社!
大笹街道は、上州側では仁礼街道または信州街道といって、善光寺平から上州を経て江戸に至る最重要の脇往還である。大笹街道の起点は福島宿で、ここで北国街道とわかれ、鮎川の段丘をのぼり、八町、栃倉を経て仁礼宿に至り、さらに現在の国道とは異なって宇原川をさかのぼり、大谷不動から菅平に出て、この高原を南北に横切り、鳥居峠を越え、上州に出て大笹宿に至り、さらに大戸を経て高崎に出る道である。この大笹街道の現標が福島宿に現存している。福島宿は宿場としての昔の影を随所に残ている。宿場の中ほどに追分の道標はあって「左 草津仁礼道 右 松代道」とある。大笹街道はいつ頃から開かれたか明らかでないが、慶安2年(1649)矢代宿より追分宿に至る北国12ヶ所の宿が仁礼大笹両宿を相手に大笹街道に駄 賃荷物を通さぬよう幕府に公訴し、両宿は反論して結局慶安3年(1650)大笹街道が勝訴しているので、それ以前より有力な街道であったことがわかる。その「福島宿」の北の端に「天神社」がある。
福島町の氏神=産土神。天徳4(960)年頃に京都北野天満宮より勧請(かんじょう)された。当初は雷雨天災を鎮める神として千曲川の洪水水害除けを願って祀られたが、現在は学問の神としても尊崇されている。拝殿前に一対の牛の石造があるが、道真と牛との関わりが深かったことで天神社の守護神となっている。ほかに、境内社として八坂神社、養蚕社、白山比咩神社、金刀比羅社、伊勢社、蚊里田八幡社、熊野権現社、三峯社、秋葉社が祀られている。
また当社は、日本一と言われる一対の「大幟(おおのぼり)」で有名である。1880年(明治13年)千曲川の洪水によって破損した天神社本殿の再建に伴い作られました。大幟と言われるように竿の長さは36.5m、幟の長さは22.5mという長大なもので、よく晴れた日には長野市の城山からも幟がはためく様子が見えたそうです。幟に書かれた文字は、護衜(ごどう)・懋徳(ぼうとく)と書かれ、中国の書経という書物からの出典です。
*護衜(ごどう) 人として正しい行いをすること。(道をまもる)
*懋徳(ぼうとく) 品性を高めるよう努力すること。(徳をつとめる)
幟の揮毫(きごう)をしたのは、当時73歳の小布施の豪商高井(たかい)鴻山(こうざん)である。鴻山は家業の傍ら書画や国学を修めた文化人である。(=葛飾北斎を小布施に招聘したことで有名) 鴻山はお宮の境内で、ミゴという藁(わら)の芯を束ねた筆を使って書き、熱心に書いたあまり、幟完成の祝宴の最中に倒れ、これが最後の揮毫になったと伝えられています。
大幟は、明治13年から18年までは毎年建立されていましたが、以後は記念行事の折だけに建てられ、最近では1993年の高速道路開通式の折に建てられ、人々の注目を集めました。また最近では、一昨年11月24日、1993年以来22年ぶりに同市福島の畑で行われた。同区や市によると、福島の大幟は国内最大級。建立行事は何かの記念の際に限ってきたが、前回から月日がたち「建立行事を次世代に伝えよう」と、区民でつくる実行委員会が計画した。
この日は早朝から約3時間かけて複製品を建立。クレーンでさおを立てて区民らが大幟を吊るすと、見守っていた大勢の人達から歓声が上がった。 同区長の小林照夫さん(72)は「大勢の方の協力で次回につなぐ建立行事を実現できた」と話していた。小生はこの時、傍の道を通り掛かったのであるが、日本一の大幟とも知らず、また言われも知らず、通り過ごしてしまったのだが、全く惜しいことをしてしまった。
須坂には日本一とか、須坂にしかないとか、結構存在するのだが、こういったものは大切にしなくてはいけませんね!
『須坂市報 「須坂市の文化財シリーズ28」(平成22年11月)』より
【すざかからの日本一!】
須坂市福島天神社の幟旗
旗の長さが22.5メートル、幅が4.0メートル、旗を広げた面積が90平方メートル。対の幟旗としては日本一の大きさです。揮毫は高井鴻山です。
- 記事・画像・動画 引用・参考元 すざかのお宝
- 画像引用 いきいき須坂
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