海野宿の南口に鎮座する白鳥神社 真田一族にも大いに関係する神社!
白鳥神社は、旧北国街道海野宿の南口に鎮座する。海野宿を見に来たのだが、いきなり立派な社を見たので、先ずこの神社から撮影を始めようと思い参拝したのが最初だった。この社は日本武尊・貞元親王・善淵王・海野広道[当地の豪族初代]公の四柱を御祭神として祀る。 日本武尊(第12代景行天皇の第2皇子)は、西征・東征と奔走したが、その東征の帰り道に海野に滞在したと伝えられ、その後、伊勢の国で亡くなり、白い鳥に身を変え海野の里にもこの白い鳥が舞い降りたとされる。そこで海野の里民はお社を建て日本武尊を祀り、仲哀天皇の2年勅命により「白鳥大明神」の称号を受けたと伝えられている。これが白鳥神社のいわれである。
さて祀られている海野氏は、この一帯を支配した豪族の初代であるが、いまNHKの大河ドラマの「真田丸」の真田一族はこの海野一族の出である。
江戸時代に作成された『真田家系図』には、真田氏[海野氏]の発祥は清和源氏であり、信濃国小県郡(現在の長野県東御市)の海野棟綱あるいは真田頼昌の子という真田幸隆が小県郡真田郷を領して真田庄の松尾城に居住し、以後真田姓を名乗ったと記されている。
この様な経緯で白鳥神社は真田一族と深い関係があり、一族からの厚い信仰を得る。またいろいろなエピソードもある。海野一族が、武田勢に攻め込まれ、滅亡の危機に瀕した時、真田幸隆の枕元に、女神が現れ「この鉾を持って出でよ!末はめでたかるべし!我は白鳥明神の遣わしなり!」とのお告げがあり、幸隆は一党を結束させ、敵陣のど真ん中を突破し戦場から脱することが出来たと伝わる。
↓ 【神社仏閣巡り】 白鳥神社 境内散策 東御市 信州「神社仏閣名所旧跡巡り」
↓ 【神社仏閣巡り】 白鳥神社 東御市 ご神木と本堂参拝!
また、後年、1622年上田から、松代に転封になった際、旅立つ信之の籠の上に白い鳥が舞い降り、共に移りたいとのお告げがあった。松代に移った直後に光る物体が東方から飛来し白鳥明神の鎮座すべき場所を告げました。1624年信之は松代舞鶴山に白鳥神社を分祀した。のちに藩祖として共に祀られ真田家は末代へと残りました。斯様に白鳥神社と真田家の深い関係がわかります。
【神社仏閣巡り】 白鳥神社!東御市 木曽義仲が挙兵した神社 新海宮・道祖神・大黒天
」小生がこの神社について、興味を持ったのは、「鯨石」というものです。池の中に横たわっているのですが、頭部と思われるところから、噴水の様に水が上がっているのです。どうしてそうなるのか、また何の為にあるのかわかりませんでした。神社内には、道祖神や、狛犬、大黒天・恵比寿、欅の大木などあり、歴史の古い神社であることが判る。
↓ 【神社仏閣巡り】 白鳥神社 鯨石の噴水ってなんだ! 東御市
海野宿は、北国街道の宿場であるが、善光寺の参拝客や、諸大名の参勤交代、佐渡の金などの荷駄の流通などで賑わった。旅籠の客も白鳥神社に詣で旅の無事を祈ったことだろう。
この海野 清き流れに白鳥は あとたれそめて 幾世へにけん 海野幸氏
コメント