飛鳥寺は京都赴任中終ぞ拝観出来ず!態々出直した寺!待望の大仏にやっと対面できた!
小生は1999年京都支店勤務の辞令を受け2年半京都に居ました。単身赴任でしたので、土・日、祝祭日の殆どは、神社仏閣名所旧跡巡りに費やしました。おかげで「普段着の京都」を堪能しました。
住居は大阪府高槻市だったので、京都のみならず、奈良、滋賀、大阪、神戸方面にも行きました。中でも明日香はお気に入りで、何回行ったか、覚えていない程行きました。明日香へは、169号☞15号☞124号から飛鳥坐神社を抜け、酒船石に通じる道を使っていたので、往き帰り飛鳥寺の前を通っていました。そんな訳で、飛鳥寺は「何時でも行けるから、今日はいいわ」という「邪念(!?)」が出て、終ぞ在勤中は参拝できずに転勤となってしまいました。その無念さは結構尾を引き、「何としても、飛鳥寺へ行くぞ!」と思っていました!
京都を離れ、その後2か所ほど転勤で住所を変え、2008年3月38年勤務した会社を定年退職しました。そして同年11月、所用で大阪に行く機会があり、1日早く出発し、京都に
出ました。その足で近鉄に乗り、橿原神宮に向かいました。参拝後レンターサイクルを利用し、これも赴任中行けなかった「益田の岩船」を制覇(!?)☞飛鳥香駅に出て、橘寺・川原寺跡・恵比寿神社などを参拝後、遂に待望の飛鳥寺に着いた。
飛鳥寺は奈良県明日香村にある小さなお寺です。新西国第9番、聖徳太子第11番霊場。
今でこそ小さなお寺ですが、飛鳥時代は日本最初の本格的寺院であり、塔や回廊,3つの金堂,講堂を備え、広大な境内を持つ大寺でした。今では飛鳥寺(安居院)という名前ですが、当時は元興寺や法興寺といいました。
大化の改新で蘇我氏が滅ぼされた後も、飛鳥寺は崇敬され、天武天皇の時代には私寺であるが、官寺と同様の扱いとなっており、さらに文武天皇時代には大官大寺,薬師寺,川原寺と並ぶ4大寺のひとつに数えられ、朝廷の保護を受けていました。
平城京遷都後に飛鳥寺は都(奈良市)に移転しましたが、飛鳥にも寺院が残りました。当時は平城京へ移転した方を元興寺、飛鳥に残った方を法興寺と呼んでいました。887年と1196年に火災にあい伽藍は焼失、室町時代以降は荒廃してしまったが、1632年と1826年に再建され現在の姿となっています。
【本堂】
1825年に再建されたもので、中金堂跡に建てられています。本堂内では飛鳥大仏(金銅製・釈迦如来坐像)が本尊として祀られており、大仏の前では住職さんの説明を受けることができます。これは1グループごと行われているようで、住職さんの文化財に対する熱意を感じさせます。
【飛鳥大仏(金銅製・釈迦如来坐像)】
飛鳥寺本尊で銅製の釈迦如来坐像です。重要文化財。高さ約3m
606年に推古天皇により発願、蘇我馬子や聖徳太子に建造を命じ609年に完成となった。仏師は鞍作止利。中金堂建設の後に作られたようで、扉を壊さずお堂の中へ入れたという伝説が日本書紀には書かれています。現存する日本最古の仏像となっています。
元興寺縁起では脇待(脇仏)の存在を明記しており、もともとは三尊像として造られていたようですが、現在その存在は確認できません。
もとは全身に塗金されていましたが、何度も火災ににあっており、剥がれてしまっています。身体も複数個所損傷、後世に補われた箇所が多数見られ、つぎはぎだらけの姿になっていますが、アーモンド型の目にアルカイックスマイルといった飛鳥時代の仏像の特徴を多く残して修理されています。
現在ではごく一部しか飛鳥時代のパーツが無いとも言われていますが、展示室のパネル写真での説明には内部からは当時制作時に使った土が見つかっているとあります。そのためなのか、逆にほとんどが飛鳥時代のパーツだという説もあります。
飛鳥大仏 内部
台座は銅では無く石が使用されており、当時の技術では金銅製の仏像を支える台座が当時の日本では銅では造ることができなかった可能性が指摘されている。
殆どの寺は、本尊などの仏像は撮影禁止である。しかし飛鳥寺は、ご住職のご案内の中で、「どうぞ思う存分撮影してください!」と言って戴いたので、こんな機会は滅多にないので、思い切り撮りまくった。
今回は飛鳥大仏しか触れていないが、聖徳大師像などもあり、資料館には寺に関する資料展示もなされ、見るべきものが多数ありました。
漸く飛鳥寺を参拝でき満足感一杯で寺を後にした。その後、板蓋宮跡☞飛鳥坐神社☞大伴夫人の墓☞大原の里☞飛鳥東垣内跡地☞東通寺☞飛鳥水落遺跡☞雷丘☞善行寺☞藤原宮跡☞木殿神社☞元薬師寺跡と回りました。久しぶりに明日香の空気を思い切り吸え満足な旅となりました。
2泊3日の旅でしたが、本来の仕事を終え、疲れ切ってしまったので、高速バスはキャンセルし、新幹線で帰路につきました。次の日右の耳に違和感があり、医者に行ったら、な・なんと「突発性難聴」といわれてしまいました。想えば行きが、23:55東京駅発の夜間高速バスで京都に向かったのが仇となった様です。同乗者は皆若者ばかりで、60過ぎのおっちゃんは小生一人で、完全に浮いていました! 「もう若くはないんだぞ!」と思い知らされた旅になってしまいました!
参考・引用元 思い出の日本を思う寺社めぐり
画像元 yjimage
コメント