【神社仏閣巡り】 御旅館(おたや)祭りで知られる伊勢社(長野市川中島)を参拝する!
長野市の18号バイパスから、更埴方面に向かって、旧18号に抜けようとして、車を走らせていたら、偶然目に入った神社があり、寄ってみた。それは寺と隣り合わせの神社で、大きな逆Jの字のカーブのところにあり、車を何処に停めたらいいか迷った。その神社は「伊勢社」であった。長野市内に数か所ある様だ。
平安時代、ここら辺一帯は、伊勢神宮の荘園(富部御厨)で、その頃に伊勢社が勧請されたと言われています。その後、戦国時代の川中島の合戦で焼失したが、元和三年(1617)に伊勢の久志本神主が伊勢神宮造営の余材を貰い再建したため、それ以来伊勢分社と呼ばれるようになったという。
その格式はその後も続き、久志本神主や代理人が毎年ここに来て泊まり、氏子へ神札を配布したことが「御旅館(おたや)」の語源となった。毎年1月6日の新春例祭「おたや祭」は、前夜半から近郷在来の人々の参拝や門前市で大いに賑わうなど、川中島平の人々からは「戸部のおたや」として親しまれている。
1月6日の新春例祭「おたや祭」は、随分と賑わう様であるが、この伊勢社の、ある人のブログを読んでいたら、下記のような文章があった。
今から50年近く前、小学生の頃、1月6日になると、私は冬の寒い朝の道を3キロメートルほども歩いて戸部(御厨)まで「おたや」を見にいきました。大した小遣い銭もなく、100円にもならないような小銭を手にして。
それでもその頃にはこの祭りは盛大で、近隣の通り沿いに200メートルにもおよぶ露店の列を眺めて歩くのが、たいそう楽しみでした。今ではその規模は往時の10分の1ほどになってしまいました。
その頃、私は「おたや」がどこの寺社の縁日かも知らずに、伊勢社にお参りしてわずかな賽銭を納め、境内で甘酒(当時は1杯10円だったか?)をいただきました。身体がすごく温まりました。
露店で買ったのは、せいぜい50円以内の代金の麦芽糖の飴(ぶっかき飴)でしたが、当時の私によっては「せいいっぱいの贅沢」だったのです。
文章の内容から、この方は、多分私と同年輩ではないかと思う。私も須坂の神社に、折々の祭りに、100円玉を握りしめて、参拝に行った。その頃は、お祭りも盛大に行われていて、こんな町にこんなにも人が居るのかと思う程の賑わいだった。年に何回かの「ハレの日」で、指折り数えてその日を待ったものだ。
現在は、毎日が、謂わば「ハレの日」の様になってしまい、暮らしのメリハリもなくなってしまった。老人の単なる「郷愁」かも知れないが、もっと「生業のほか」に、精神的な余裕というものがあっていいのではないかと思う今日この頃です!
参考
① http://takaminey.m35.coreserv.jp/www.hautpdis01.com/walkigram01/?=2327
➁ http://takeri57-w2.blog.avis.jp/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E9%AD%85%E5%8A%9B%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B/%EF%BC%93%EF%BC%97%E3%80%80%E5%B7%9D%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E3%80%80%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A4%BE%E3%83%BB%E6%88%B8%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%BE%A1%E6%97%85%E9%A4%A8%EF%BC%88%E3%81%8A%E3%81%9F/
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