【さくら紀行】妙徳山高顕寺の櫻の大樹! 大笹街道の有力な宿場だった仁礼集落の、旅の無事を祈る祈願所としての風格を備えた名木!
☝ 高顕寺の天然記念物指定のアズマヒガン桜
今年の櫻は早かった! 4月に入って早々!長野市城山の櫻が開花し宣言が出た。3日程で、須坂の櫻も満開になった。例年だと、開花から、満開まで4・5日は掛る。とは言っても、2日程強風交じりの雨が降ったので、すぐ花見とはいかなかった。そうこうしている内に、3・4日経ってしまって、折を見て、市内の櫻を回ったのだが、残念ながら、半分くらい花弁は色褪せていた。其れでもと思い、豊丘や仁礼の方は未だいけるかも知れないと思い、ダメもとで車を走らせた。
☝明徳山山麓に祀られている「太郎山神社」の伊邪那岐神・伊邪那美神・菊理比賣命の石祀
毎年桜の咲くころは、市内・高山村の櫻を見て回るのだが、本年はいろいろあって、2日しか回れなかった。毎年見ている桜だが、その年その年で、花弁の色が、濃かったり、薄かったりで印象が違ったりする。今年は全般に色が薄かったように思う。
さて野辺の明光寺の枝垂れ桜は、半分散りかけてしまっていて、残念な結果となってしまった。こりゃ今年はタイミングを外してしまったかなあと思った。それでもと思い、58号線に出て、仁礼に向かう。右側には、須坂の南端の里山「明徳山」があるのだが、ところどころに桜がみえる。標高が高いせいか、未だ満開状態を保っている。桜が集まっているところがあったので、右折して、傍まで行ってみることにした。人工的に植えたのかも知れないが、辺り一面ピンクで染まっていた。
☝ 明徳山 太郎山神社附近の桜
途中鳥居が見えたが、狛犬2基と、石造りの蛙丈しかないなかったので、「??!!」と思ったが、細い山道があり、登って行ったら、祠3基があった。「太郎山神社」という事が分かった。地元上八町の養蚕神太郎山講というのがあり、上田市にある「太郎山神社」から分祀されたものだという。
さて寄り道をしてしまったが、58号線に戻り、大笹街道(406号線)に入り、菅平方向に車を走らせる。暫く走ると、左側に約200mくらい桜並木があり、その途切れる辺に、高顕寺に入る道路がある。
高顕寺は、妙徳山の東山麓に建っている。この寺は親戚の墓がある寺でもあったので、何回か訪れたことがあったが、桜の季節では今回初めての参拝となった。
【妙徳山 高顕寺・真言宗豊山派】 北信濃十三仏霊場観音菩薩 所在地 須坂市大字仁礼869
【境内の2本の櫻大樹について】
境内には、2本の桜の大樹が存在する。本堂左側にある桜は、幹回り5.7m 樹高13m 樹冠19m のエドヒガン桜で、樹齢500年と推定されている。また前山の麓にある桜は、幹回り2.4m 樹高14m 樹冠17m の枝垂れ桜で、樹齢300年と推定されている。平成23年3月31日須坂市の天然記念物に指定されている。
【寺の歴史】
正式名称を「慈眼院妙徳山高顕寺」と言い、真言宗豊山派に属している。御本尊は観音菩薩で、寺伝によると、開基は僧行基で、今から1250年程前と伝えられる。現住職は87世である。住職は、歴代「大谷不動」の別当職兼ねており、信濃観音霊場札所、また、北信濃十三仏霊場札所になっている。
寛政4年(1792)当時の建物は、本堂・庫裏・鐘楼堂(宝歴10)・表門・裏門・観音堂・不動堂・勢至堂・大日堂・四阿権現堂・お供所・鎮守宮・上蔵・下蔵の他寺宝として大般若経600巻があったと伝えられている。
本堂は慶応2年と明治39年に修築、昭和59年に屋根替と改修。庫裏は大正13年に改修したが、平成6年に新築、客殿とした。十三堂は昭和34年の台風で潰れた。その他にも今は無い建物もあった。仁礼は大笹街道の、信州側山道の麓の集落でもあり、街道における有力な宿場であったので、当寺は昔から、其れに相応しい、旅の安全を願う祈祷寺であった。境内にある2本の櫻は、それに相応しい風格を備えた名木である。
事務局 仁礼コミュニティーセンター
監修 勝山一男
編集 仁礼地域づくり推進委員会平成13年2月発行「須坂市 仁礼の里 史跡マップ」より
参考 「須坂のおたから」
画像 オリジナル
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