ボブ・ディラン「風に吹かれて」の問いかけは現代に必要!ノーベル文学賞受賞に寄せて!
今年のノーベル文学賞がボブ・ディランに授与されることになった。以前から、その可能性は噂されていたし、むしろ、遅いくらいの授賞だが、実際にその一報を耳にして少し驚いたというのが正直な感想だ。ノーベル賞も粋なはからいをするものだ、と・・・・・
むろん、歌手の授賞は初めてだ。「米国の歌の伝統において、新たな詩的表現を創造した」というのが、授賞理由らしい。考えてみれば、若い頃の彼は、古い民謡に手を加え、新しい命を吹き込んだ。代表作の一つ「風に吹かれて」にしても、黒人霊歌「ノー・モア・オークション・ブロック」のメロディーを参考にしたといわれている。
1960年代、公民権運動や反戦運動に揺れ動く米国社会を背景に、その「風に吹かれて」や「時代は変る」などで、古くさい大人たちに異議を申し立て、若者たちに熱狂的に歓迎されたのが始まりだ。社会の閉塞感を打破し、新しい価値観を作り出したのだ!そこに文学的素養が存在したと言えるのではないか。
それから50年余り、いまもなお、75歳にして現役で歌い続けている。朗報が世界中を駆け巡った翌日も、米国ラスベガスで公演し、普段通りに歌い、そして会場を後にしたという。しかも、受賞について一切発言することもなく。
彼らしいといえば彼らしい。歌で世界を塗り替え、現在に至る歌のあり方において彼ほど影響を及ぼした人はいない。それでも、「自分がやらなくても、誰かがやっていた」と、驕ることなく独自の道を歩み続けた。歌には、どんな規則もない、どんなことを歌ってもいい。大切なことだと思えば、世間が顔を背けるようなことでも平気で歌にした。
韻を踏ませ、暗喩を含ませ、文字通り「新たな詩的表現」で、歌に深みや広がりをもたらした。そうすることで、歌詞は詩となり、詩は歌になった。声に出し、唇にのせることで、書物の中に畏まっていた言葉たちを、リズムが躍る新しい世界へと導いた。
「風に吹かれて」は、反戦歌だから歓迎されたわけではない。ましてや、それが書かれた過去に縛られているわけでもない。「どれほど人が死んだら、余りにも死に過ぎたと気づくのだろう」。その問いかけを必要としているのは、むしろ、漠然とだが、心のどこかに不安や混乱を抱えざるをえないような「現代」ではないか。意味合いは違うが、50年前と同じような社会構造があるのではないか?
「歌は軽い娯楽ではなく、もっと重要なものだった」。今回の授賞が、ディランと同じ志を共有しながら言葉と向き合い、歌い、演奏するようになった人たちに、どれほどの励みになったかと思う。時には、自らの醜さや卑しさに気づかされたりしながら、彼の歌とともに人生を歩み続けてきた人たちにとっても、むろん、それは同じことだ。
▽あまたつ・やすふみ 1949年、福岡県生まれ。大阪外国語大卒業後、音楽雑誌の編集を経て、76年からフリー。現在はロックを中心に新聞、雑誌で評論活動を展開。著書に「ゴールド・ラッシュのあとで~天辰保文のロック・スクラップブック」(音楽出版社)、「音が聞こえる ミュージシャンが愛したもうひとつの楽器」(同)など。
引用・参考元 日刊ゲンダイ
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