そもそも戦後70年経っても解決しない「北方領土問題」って何? 理由はなんだ!?

この国の行方

そもそも戦後70年経っても解決しない「北方領土問題」って何? 理由はなんだ!?

 

小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』で連載中の「プリンス堀潤のそもそもキーワード」。今回は「北方領土」について一緒に考えます。

 

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すぐ目の前に見えているのに、ぼくたちが簡単には渡ることのできない日本の<島>があるのを、みなさんは知っていますか? 北海道本島の北東側に位置する四つの島、択捉島・国後島・歯舞群島・色丹島。通称「北方領土」と呼ばれる日本の島々です。

 

古くからアイヌ民族のみなさんが文化を育んできたこの地に、日本本土が深い関わりを持つようになったのは江戸時代。多くの人々がここで漁業や商売などをして暮らしてきました。ところが現在は、ロシアから移り住んだ人々に島が管理され、海沿いにはロシア国境警備隊のレーダー施設が建設されています。日本人は一人も住んでおらず、特別に許可された人たち以外、この島を訪れることもできません。

 

「日本の領土なのに、なぜロシアの人々が暮らしているの?」と不思議に思う人もいるかもしれません。北方領土が目と鼻の先に見える北海道根室市を訪ねると、街のあちこちに「返せ!北方領土」という看板が立っています。この70年、日本とロシアの双方が「北方領土は自分たちの領土だ」と主張し、解決されないまま話し合いが続けられてきたのです。

 

今から160年以上前、日本とロシアは「日露和親条約」を結び、お互いの国境を確認しあう約束を交わしました。当時、択捉島とウルップ島の間に自然に形成されていた国境をそのまま確認し、北方4島は日本の領土、択捉島より北に位置する千島列島はロシアの領土としました。…

 

それ以降も北方4島が外国の領土となったことはありません。

事態が大きく変わるのが、第2次世界大戦末期の1945年8月9日。ソ連(現在のロシアなど)が日本との「中立条約」を破って、攻撃を開始。日本は広島と長崎に原子爆弾を投下され、同月15日に「降伏」しますが、ソ連は北方領土への侵攻を続け、9月5日までに4島をすべて不法に占領してしまうのです。

 

その後、日本とソ連は、戦争を終わらせて領土問題などを解決する「平和条約」を結ぶため話し合いを行いましたが、歯舞・色丹の2島は返してもよいとするソ連と、4島すべてを返してほしいと主張する日本との間で条件が折り合わず、56年に「日ソ共同宣言」で戦争状態を終了し、国交を回復した後も、この問題は解決されずにいました。

 

安倍晋三首相がロシアのプーチン大統領と平和条約を結ぶ話し合いを進めると決めたと報道されてから、期待が高まった北方領土問題の解決ですが、12月の日ロ首脳会談では全く進展がみられないどころか、事態が後退した感もありました。北方領土は誰のものか、戦後70年以上が経ち、新たな平和の形が模索されています。(ジャーナリスト・堀潤)

 

堀潤(ほり・じゅん)/1977年、兵庫県生まれ。ジャーナリスト、市民投稿型ニュースサイト「8bitNews」代表。「モーニングCROSS(TOKYO MX)」「JAM THE WORLD(J-WAVE)」など、テレビやラジオの出演多数

 

 

引用・参考元 Excite News <asahi>月刊ジュニアエラ 2017年1月号より。

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