本当は怖い! 「毒母ブーム」の裏にあるもの!「良い母」「悪い母」・・鬼子母神の2面性!
■「毒母バッシング」が鳴りやまないのはなぜ?
ここ数年、子どもに苦しみを与える母、「毒母」への非難がちょっとしたブームになっています。女優・小川真由美さんの娘が執筆した『ポイズン・ママ』(文藝春秋)、女優・遠野なぎこさんの『一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ』(ブックマン社)、タレント・小島慶子さんの『解縛』(新潮社)など、芸能人による「毒母」暴露本も次々に出版され、話題を呼んでいます。
子どもを私物のように扱い、支配して苦しめる母親は、たしかに存在します。とはいえ、こうした毒母のエピソードが世に出るたびに人々は冷静さを失い、魔女狩りのようなバッシングに終始してしまいます。では、どうして毒母の話は、人の感情を異常に煽るのでしょう? そこには、人間の無意識に共通して潜む「母なるものへの怖れ」が影響しているように思うのです。
■人々の心に潜む「グレートマザー」のイメージ■
分析心理学を築いた精神科医、C.G.ユングは人間が共通して「母親」に対して抱くイメージは2つのものがあると説きました。一つは、子どもを純粋に慈しみ、愛情深く育てる母のイメージ。もう一つは、子どもを支配して、のみ込んでしまう恐ろしい母のイメージです。ユングは、この二面性を帯びた母親のイメージは誰の心にも存在するものと考え、これを「グレートマザー」と名付けました。
「グレートマザー」の典型といえば、インドの女神「鬼子母神」です。人間の子どもたちを平気でさらい、むさぼり食っていた鬼子母神。そのむごさを見たお釈迦様は、罰として鬼子母神の末子を隠してしまい、わが子を失った鬼子母神は自分の罪に初めて気づきます。そして、子どもを守る神として生まれ変わったという神話はあまりにも有名です。
このように極端な二面性を持つ母親像は、世界中の神話や物語に共通して存在しています。『古事記』に登場する女神イザナミ、『グリム童話』の「ヘンゼルとグレーテル」の魔女、日本の昔話に登場する山姥など、人間が感じる母親的女性への印象は、優しさや慈愛といった善良なイメージがある一方で、その裏には欲望のためには子どもをのみ込み、つぶしてしまうほどの邪悪なイメージも併せ持っているように思うのです。
■「よい母像」ばかり強調されてきた日本文化■
近年、日本では自分を犠牲にして、子どもや家族のために生きる母親像のイメージばかりが注目され、クローズアップされてきました。国民的アニメ『サザエさん』の母・フネさんのように、母親である自分はいつも一歩下がって家族を見守っている。自分の希望を主張せずに、いつでも夫や子どもが優先。家族が楽しそうにはしゃぐ様子を見ているだけで幸せを感じる――そういった聖母のような母親像です。
日本の大ヒット映画の中でも、中年息子を縁づかせた後、姥捨ての宿命を受け入れる『楢山節考』、野口英世を生んだ貧農の母を描いた『遠き落日』、収監された夫を支え、留守宅を懸命に守る妻を描いた『母べえ』など、近年では献身的な母親イメージのみがクローズアップされ、「母とは聖なるもの」というプラスのイメージばかりが独り歩きしてきたように思うのです。
■「毒母ブーム」は聖母イメージのリバウンド!?■
しかし、ユングの説く「グレートマザー」のように、そもそも人々が共通して抱く母親のイメージには、子どもを献身的に育て慈しむ「よい母」と、子どもをのみ込み、つぶしてしまうほどの支配力を持つ「悪い母」が混在しているものです。したがって、「母とはかくあるべし」と「よい母」のイメージのみに注目するほど、もう一方の抑圧された「悪い母」のイメージも心の底で膨らみ、精鋭化しまうのでしょう。
そう考えると、最近世間を騒がせている「毒母ブーム」は、人々が「よい母」のイメージにばかり執着してきた歴史のツケのようにも思えます。「よい母」イメージばかりが喧伝されてきた裏で、もう一つの「悪い母」イメージが心の底でどす黒く煮つめられ、誰かが毒母物語を語り出した途端、同じイメージが人々の無意識からあふれ出し、異常なまでの共感を呼んでいったのではないでしょうか。
とはいえ、魔女狩りのように毒母バッシングばかりを繰り返しても、「悪い母」のイメージが人々の心から消えてなくなるわけではありません。ユングの言う「グレートマザー」のように、人間が共通して持つ「母なるもの」の元型のイメージは、もともと「善と悪」がセットになって一つのものだからです。
■毒母をバッシングしても癒されない訳■
ところで、毒母体験を思う存分カミングアウトした子どもたちは、そのことで母から受けた毒を「解毒」できたのでしょうか?
たしかに「毒」を吐き出すことで、背負ってきた鬱屈は、いっとき楽になったかもしれません。
しかしその当人も子を持ち、親になるとき、何を思うでしょう? 現実の子育てでは、「よい母」の顔で子どもに向き合うのは難しく、必ずや自分の中にある「悪い母」の側面にも気づいてしまうものです。善悪を併せ持つのが人の心であり、それが自然なのです。
とはいえ、「悪い母」を否定し続けると、自分にもその一面があることに気づいたとき、「私も、あのひどい母と同じなのでは?」「妻も、あのひどい母と同じだったのか?」という衝撃にかられ、等身大の自分や妻を受け止めることに戸惑ってしまうのではないでしょうか?
毒母バッシングにばかり熱中していると、こうした弊害に直面化する危険があります。大切なことは、現実の母親を、善悪を併せ持つ全人的な存在として捉えて理解すること、なぜ自分が母へのコンプレックスを抱えたままなのかを理解することです。
記事・画像引用・参照元 Excite News<All About>
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