【神社仏閣めぐり】 坂田山の麓に建つ天徳寺!入口の筆塚に想う!

歴史探訪

【神社仏閣めぐり】 坂田山の麓に建つ天徳寺!入口の筆塚に想う!

 

筆塚 ☝

 

坂田山天徳寺は、須坂の里山「坂田山」のふもと、また須坂市営「坂田霊園」の入口に位置する寺です。小生の家の墓が、偶々この霊園にあるので、時間があれば、階段を登り、拝観するようにしています。また天徳寺の裏手の高台からは、北信五岳や、北アルプスが見渡せます。晴れた日の午前中は「カスミ」が掛からず遠くまで山容を見ることが出来ます。

天徳寺井上源氏三郎満定の九男静実が真言宗天徳寺を創建したのがはじまりとされています。その後元禄7年(1694)に、僧常清が残された諸仏を供養して再建し、宝永4年(1707)須坂市春木町の浄念寺の末寺となり、浄土宗に改宗したお寺です。山の尾根に観音堂などが点在しています。須坂の里山=坂田山→明覚山の登山口の1つになっています。

 

 

この寺の入り口の階段登り口の左側に大きな筆塚があります。天徳寺17代住職に就いた田幸正粲<タコウセイサン>は須坂市穀町に生まれ、末広町正願寺で書法を学びました。正願寺の住職の死後、その跡を継ぎ、また寺小屋の師匠にもなりました。天徳寺住職に就いたあとも、寺小屋にて子弟達に書を教え続け、また明治時代になると、須坂小学校の教師や坂田役場職員も勤めたこともあったそうです。この筆塚は、田幸正燦の弟子31名によって明治40年に建立されたものだそうです。須坂には、寺子屋や、私塾が数多くあり、師匠を偲ぶ意味や、謝恩の気持ちを表すために、筆塚を建立する例が多くあり、市内には80余基存在するそうです。

そのことからも昔の師弟関係の深さ、人間関係の密さを知ることができるのではないかと思います。「仰げば尊しわが師の恩」という言葉やその意味するところは、小生の小学校や、中学の頃はしっかりと残っており、先生は尊敬の的でした。実際先生も熱心で、厳しい先生が多かったと思います。未だにその厳しさを思い出します。現在は教育現場も、我々の頃とは事情が大きく変わっているようですが、信頼感が戻って欲しい気がします。[師弟間に限らず、親子関係も含め]

 

引用参考元 須坂探検マップ

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