【神社仏閣名所旧跡巡り】 盛岡市指定文化財 石造十六羅漢(らかん児童公園)茶畑2丁目1 小学生に「こんなの見て面白いんですか!?」と強烈なパンチを見舞われてしまった! 

歴史探訪

【神社仏閣名所旧跡巡り】 盛岡市指定文化財 石造十六羅漢(らかん児童公園)茶畑2丁目1 小学生に「こんなの見て面白いんですか!?」と強烈なパンチを見舞われてしまった! 

公園の四方辺に、石造十六羅漢(せきぞうじゅうろくらかん) 16体、付(つけたり) 五智如来(ごちにょらい) 5体がズラッと並んでいる!壮観!盛岡市有形文化財(彫刻)指定!

盛岡は郷土芸能の盛んなところで、「盛岡郷土芸能フェステイバル」という催しが行われる。
さんさ踊りや、田植え踊り,お神楽、獅子踊り、剣舞などなど、それこそありとあらゆる演目が披露される。驚くべきことに朝9時半から夕方6時まで、途中昼食タイムが1時間ほど入るが、それこそ次から次へと、引きも切らずに上演される!しかもだよ!これが2日間に亘って開催されるのである!流石の小生も2日目は取りやめた。(疲労困憊)会場は溢れるばかりの観衆!

石造十六羅漢(らかん児童公園)

さてその会場を探しながら、車を走らせていたら、なんとも摩訶不思議な公園が出現。公園の周りに石仏が沢山配置されてあったので、思わず車を停めて撮影と相成った。丁度雨も上がったが、水たまりを除けながらの撮影となった。

江戸時代,盛岡藩の四大飢饉といわれる元禄・宝暦・天明・天保の大凶作によって,領内には多くの餓死者がでた。祗陀寺14世天然和尚は,その悲惨な餓死者を供養するために,十六羅漢と五智如来の合計21体の石仏建立を発願した。そして領内から浄財の喜捨を募って,1837年(天保8年)工事に着手したのである。

下絵は藩の御絵師狩野林泉が描き,石材は市内の飯岡山から切り出し,藩の御用職人の石工7人が3年掛けて荒刻みを行い,北上川を舟で渡して,建設場所の祗陀寺末寺の宗龍寺境内に運び入れ.最後の仕上げをしたものといわれている。

こうして,起工から13年目の1849年(嘉永2年),発願した天然和尚の孫弟子にあたる長松寺13世泰恩和尚のときに,漸く竣工したのである。

しかし,宗龍寺は明治維新後に廃寺となり,1884年(明治17年)の大火で寺院も焼失しました。現在は21体の石仏群を残す,寺の様子は一切なく市の公園となっている。

芸能フェスティバルに行く途中でもあり駆け足の撮影であった。車に向かう途中、小学生が丁度通りかけ、「おじさん!こんなの見て面白いんですか!?」と強烈なパンチを見舞われてしまった! ソリャそうだよねえ? 土曜日の早朝、公園をウロチョロして、写真を撮りまくっていれば、「酔狂な親父が居る」と思われても仕方がねえよな!と思った次第!

記事・画像 引用・参考元 盛岡市公式ページ 指定文化財の頁
http://www.city.morioka.iwate.jp/shisei/moriokagaido/rekishi/1009335/1009358/1009361.html
画像元 yjimage original (盛岡赴任時撮影)

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