【自分なりの遠野物語】 続石 岩手県遠野市 民話の里遠野に行ってみた!山中に不思議な巨石あり!
遠野は「民話の里」である。盛岡に赴任して、間もないころ、カーラジオから「本日遠野で競馬がある」というのを聞いて、(取り敢えずアパートを出てきたが)、具体的に行き先が決まっていた訳でもなかったので、「(遠野は民話で有名と聞いていたので)そうだ!遠野に行ってみよう!」とばかりに急遽遠野に行くことに決めた! 事前にいろいろ調べて、観光地に行くというタイプではないので、何処かに行くときは、大体こんな調子で決まる!それでも何とか1日が纏まり、「行ってよかったなあ」と不思議に満足できる結果になるのである。(その代わり、見落としも当然あり、「あそこまで行ったのなら、行けばよかった」という事も頻繁に起こり、何回も行く羽目になるのであるが…)
さてその「自分なりの遠野物語」だが、10回くらい訪問した遠野だが、今回は奇石「續石」について書いてみよう!
盛岡から来る396号線 南部曲り家「千葉家」の手前、綾織というところに、「續石」の標識があり、駐車場となっている。 鳥居を潜り、山の小道を20分ほど登る。もう帰る予定で、偶々見つけたので、又にしようかと迷ったのであるが、今迄の経験上「又にしよう」は、更なる「又にしよう」を呼び込むことが多いので、既に薄暗なりつつあったが、決行(大袈裟さな!)することにした! 1人でもあるし、正直心細かった。熊でも出そうな雰囲気だったので、落ちていた杉の枝などを叩きながら約20分登った。
杉林の小高いところにその巨石は在った。2つ並んだ石の上の、背後にある祠に向かって、左側の方のみに幅7メートル、奥行き5メートル、厚さ2メートルほどの巨石が笹石として乗っています。(しかも先端は浮いている!)「遠野物語」の第91話に出てくる奇石で、古代人の墓とも、武蔵坊弁慶が持ち上げて作ったともいわれています。
また、柳田國男の『遠野物語拾遺』第11話に、この続石に関する伝説が記載されている。
この不思議な石の造型は自然のものではなく、弁慶がこしらえたものであるという。初め弁慶は近くにある別の石の上に、笠となる石を乗せた。ところが、乗せられた石は「自分は位の高い石なのに、その上に石を乗せられた儘となるのは残念である」と言って一晩中泣き続けた。ならばと弁慶は別の石を台石として、その笠石を乗せ直したという。そして泣き続けた石もこの続石の傍にあり、泣石と呼ばれている。またこれらの巨石がある場所に少しだけ開けた平地があるが、ここは“弁慶の昼寝場”と伝えられている。
上の乗せられた笠石の大きさは、幅7m、奥行5m、厚み2mという巨石であり、弁慶が持ち上げる時に付いたという足形が残っているとされる。奇異な巨石を見た人々が怪力の伝説の持ち主である弁慶が造ったものとして、ある種合理的な説明を残したのであろう。間近で見ると、その偉容に圧倒される。
柳田國男も『拾遺』で指摘しているように、形から見て続石は人為的なドルメンの一種ではないかという説がある。その説を強くさせるような奇怪な話が先ほどの、『遠野物語』第91話にある。それによると、この本が出される十余年ほど前、ある鷹匠が続石の少し上の山の岩陰で赤い顔の男女と出会った。男女は手を広げて制止するよう警告したが、鷹匠は戯れに腰に下げていた刀を振りかざした。その途端、男の方に蹴られて気を失ってしまった。意識を取り戻した鷹匠は「多分今日の出来事で自分は死ぬかもしれない」と言い、果たして病死した。不審に思った家人が寺に相談すると、それは山の神であり、祟りを受けて死んだのだと告げたという。 人工物であるか、自然の為せる奇跡かは定かではないが、この続石の存在がこの一帯を神秘的で神聖な場所であると認識させていることに間違いがないと言えるだろう。
「民話の里」遠野に相応しい不思議な巨石である。
記事・画像 引用・参考元 遠野時間 <遠野市観光協会公式サイト>
記事引用・参考元<日本伝承大鑑>
記事・画像 引用・参考元 遠野物語「現在進行形」
画像元 yjimage
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