【自分なりの遠野物語】築200年!一つの屋根の下に、人と馬が一緒に暮らすという形式の家南部曲がり家千葉家を訪れる!
(千葉家曲がり家は平成28年4月より10年をかけ大改修工事中。現在見学出来ません。)
嘗て岩手の地は、駒の一大産地だった。馬は農業や林業の大きな担い手であったし、生計を立てる上でも、必要不可欠な存在であった。そんな訳もあり、馬は非常に大切にされた。そのことを如実に表すものに、(南部)曲がり家と言う、一つの屋根の下に、人と馬が一緒に暮らすという形式の家が存在した。人が生活する母屋(もや)と馬が生活する馬屋(厩・・・まや・うまや)がLの字状に繋がって一軒の家になっていた。岩手を中心とする東北地方一帯と、茨木県などにみられる。
先ほども触れたが、岩手県は、馬の一大産地で、盛岡には、未だに「馬検場」なども残されており、滝沢市には、蒼前(駒形)神社があり、周辺の農家では、未だに馬を飼育し、「チャグチャグ馬コ」に参加する馬が揃えられている。
さて、話を遠野市に戻そう。南部曲り家の代表格である千葉家は、遠野市から盛岡市に向かう国道396号線(遠野街道)の左手にある。見晴らしの良い小高い丘の中腹に石垣を築き、前面に柵をめぐらした屋敷構えの家で、曲り家の最盛期に建てられ,保存状態も良く、上層農民の最高級の曲り家として典型的なものといわれます。「日本十大民家」の一つとされています。
遠野には、2年半の赴任中に10数回行ったが、大半はこの遠野街道を通って行き来していたので、常にこの千葉家は、目に入っていたので、例によって、何時でも行けるという気がしていて、中々寄れなかったのであるが、もうそろそろ転勤かなあと言う10数回目に漸く足を向けたのであった。
千葉家は周囲の自然地形を利用して作られた民家で、石垣を組み悠然とした佇まいの、遠野でも一番の大きな曲り家です。南部藩特有のもので、200年程前に建築されたものです。平成19年12月、国の重要文化財に指定されました。
曲り家というのは、L字型の家のことで、人間の住む母屋と馬小屋を直角に連結した農家の建築様式をいう。この南部曲がり家の拠点は二つあり、遠野郷と盛岡周辺であった。これを外から見てみると、屋根は茅(かや)で葺き、周りを土壁で塗りつぶし、柱や貫だけを露出させる。これを遠くから眺めると、自然の風景に溶け込んで、小さな山や丘に見えた。(「遠野物語小事典」より)
東北の曲がり家は、18世紀頃に藩(盛岡藩や八戸藩など)に奨励されて建てられたといわれ、それぞれの土地の名士や権力者が家の主であった。千葉家も家から見渡す田畑をすべて所有していたという大地主だった。
私は転勤族であった為、各地の神社仏閣名所旧跡を巡ってきたが、各地にこのような規模の民家が結構ありますが、この千葉家曲がり家は、その中でも1・2を争う規模であると思う。
平成25年(2013)には遠野市が譲渡を受け、観光施設としての活用を継続しながら、保存整備工事に向けた準備を進め、平成28年(2016)6月に保存修理工事が始まりました。10年を掛ける大工事です。現在はイベントなどの開催以外は見学が、出来ない状況になっています。
記事・画像 引用・参考元 一般社団法人遠野市観光協会 「遠野の時間」
Japan Web Magazine
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画像元(一部) yjimage
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