ちばてつや氏語る共謀罪の怖さ「人間の内心取り締まる」
GWが明け国会の審議もいよいよ終盤。最大の注目は、与党側が「強行採決」も又もや視野に成立をもくろむ共謀罪の行方だ。共謀罪に対しては多くの著名人や市民団体が反対の声を上げているが、漫画界の巨匠・ちばてつや氏(78)もそのひとり。あらためて共謀罪の危うさや怖さを聞いた。
【――漫画家として共謀罪をめぐる今の状況をどう考えていますか】
漫画に限らず、何かを表現するためには、可能な限りの自由さが必要です。「光」を表すのに「影」が必要であることは言うまでもありませんが、例えば人間そのものをリアルに描くには「理想的で模範的なキャラクター」だけで魅力ある世界を紡ぎ出すことはできません。そこには当然、エロやグロ、暴力といった、実社会では望ましくないとされる資質を登場させることも必要なのです。共謀罪は、われわれ表現者が大切にする、その人間の「内心」を取り締まる、という点でとても危険な考え方であり、非常に怖いことだと思います。
【――反対する背景には、自身の「戦争体験」も影響しているのでしょうか】
5歳くらいの時、家族旅行で「大連」という都市に向かう列車の中に誰かが入ってきました。「憲兵さん」でした。それまで穏やかだった車内がシン……と静まりかえったのは、その時、車内にいた、ごく普通の人々が、皆「憲兵」を恐れ、できるだけ関わらないよう、息を潜めて「萎縮して」いたからです。その時、幼さゆえにその空気を察することができなかった私は、不思議そうな顔で、その「憲兵さん」をマジマジと見つめてしまい、あわてた母親に無理やり窓の外の方を向かされたのを覚えています。
共謀罪が新設されて、権力を持った側が今以上の取り締まる権限を与えられた時、本来は私たちの町の治安を守り、頼りにされる存在であるべき、愛される「おまわりさん」が、かつて畏怖の対象であった「憲兵」になってしまうのではないか、と、とても心配なのです。
【――日本はどんな社会を目指すべきだと思いますか】
日本人には元来、鳥羽僧正の「鳥獣戯画」や「北斎漫画」に見られるように、擬人化された動物たちの可愛い絵巻から、大人の春画にいたるまで、幅広い作品を楽しむ「大らかな」国民性がありました。共謀罪のようにちょっと「話し合ったり」「考えたこと」まで取り締まりの対象になることになれば、そうした文化を育んできた日本人の、大切な、精神的なゆとりがなくなってしまいます。
しばしば私は、日本が戦争に突き進んでいった状況を「大きな渦」に例えます。最近の日本には、先のむちゃな戦争に突入していった時と、とてもよく似た、なんとも不穏な空気を感じるのです。「大きな渦」のヘリから、まさに巻き込まれ始める、そのギリギリのところ。そこは一見、とてもゆったりと穏やかなので、その先に深くて黒いブラックホールがあるなんてとても思えないのですが、そのわかりづらさも含めて、今はとても危険な位置にいるのです。
その「大きな渦」に入ってしまう「過ち」を正すことができるのは、どんな意見でも言えるし、さまざまな表現を許容し、多様性を大切にする、文化的で健全で穏やかな社会です。政府には、どこかの近い国のように、何も言えない、何も知らされない厳しい規律をもって統率された国よりも、多少の清濁を併せのむ、余裕のある大らかな国を目指して欲しいと、心から思います。
記事・画像引用・参照元 日刊ゲンダイ<(聞き手=本紙・高月太樹)>
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