【須坂探訪】 製糸業全盛期に造られた旧信陽銀行 ひっそりと佇む!
一世を風靡した「蔵の町須坂」の製糸業! その製糸業全盛期に造られた旧信陽銀行。明治35年創設。製糸業の資金需要に応えるため、明治半ば、地元製糸業者を株主とする金融機関が次々と設立されました。この信陽銀行もその1つ。東行社=(明治8年小田切辰之助、青木勘九郎、遠藤万作等によって設立された国内初の製糸結社)関連の金融機関として設立され、全国に轟いた須坂製糸業須坂の原動力となりました。<他に旧須坂商業銀行(日滝銀行)など>
尾根瓦は大きなもので大鬼瓦は1mに達する雲水裏盛の箱棟で、重厚な重合わせの深い本葺である。軒裏は3段の段蛇腹塗りで重厚感がある。2列の風切り丸瓦には、先端に○に信印の社紋が描かれている。聳え立つ妻堅には、3段の露切があり、4段の乳鍵が花を添える。表玄関は用水路に沿って、丸石積み(牡丹餅積み)2段3段<坂になっているので>の土台の上に、切石積みの根巻石、円を描く石橋、柱や梁扉などすべて欅づくりで、明治の粋を凝らしている。
現在ではこれだけの建築材料が揃えることが困難で、作ろうにも造れない重厚な建物である。私の記憶では、昭和20年代では、病院になっていた時期もある。母が交通事故に遭い、ここで治療をしていただいた記憶がある。病院を閉じてから、それ以降は何にも使われずひっそりと佇んでいる。
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