太子堂まつりと、思い出!雑感!
平素の運動不足を解消しようと思い、徒歩で家を出た。CVSで週刊誌でも買おうと思って出た訳だが、こんな田舎の町でも、少しづつではあるが、町の様子の変わりようが発見出来て面白い。暫く拡張工事をしていた道路は、工事も終わった様だったが、電信柱が撤去されて、拡張された実際の幅よりも広く見えた。電信柱が無いというのは、見た目もすっきりして、また地震などの際にも、危険防止という意味でも非常によい結果を出せるのではないかと思った。
折角ここまで来たのだから、近辺を歩いてみようと思って、当てもなくブラブラしてみた。そうしたら、そこかしこに、「太子堂まつり」のポスターが張り巡らされていた。そんなに遠くないので行ってみることにした。勿論「聖徳太子」をお祀りしてある寺院だが、その寺院のある所は、ズバリ「太子町」である。町名になっている。
毎年3月20・21日にはお祭りがある。 春の遅い信州(北信)では、この頃には、梅も咲き、漸く春めいてくる。そういえば途中に、梅の花が咲いていた。
ポスターには、5時までと書いてあったが、境内に入ったら、2.3人の参拝者はいたが、ひっそりしていた。脇の公民館では、町内会の人たちの直会が始まっていた。それでもお堂は開いていて、参拝できるようになっていた。撮影しながらであったが、参拝した。
この太子堂には、「聖徳太子絵伝」というものが伝わっていて、以前聞いたことがあったので、もしや本日見られるかも知れないと思った。「どうぞ中に入ってお参りください」と言って戴いたので、遠慮なく本堂に入らせていただいた。序に、図々しくも、「撮影しても構いませんか?」と聞いたら、「どうぞ!」と仰っていただいたので、カメラのスイッチを切らずに、其の儘入らせていただいた。[堂内撮影禁止と言うところが多いが!]
先ずご本尊にお参りをして、(其の儘カメラを回しながら)、左右に展示してあった、「太子絵伝」を拝見させていただいた。明治12年に、在郷の絵師、牧方丘によって、太子の誕生から、葬送までの一生が描かれているものである。参拝客に絵解きなどをしているとのことである。本日は中に入れたので、「太子絵伝」を見ることが出来ラッキーだった。
この太子堂祭りのころは、春の訪れが感じられ、農作業が始まったり、≪また私の子供のころは≫庭先に大きな釜を設置し、大豆を煮て、味噌造りをしたりしたものだ。その頃は、結構各家で、味噌を作っていた。私の家でもやっていて、煮上げた大豆を潰し、「味噌っ玉」というのを作り、それを筵の上に2・3ヶ月置き、周りに黴が付いたころ、それを潰し、樽に入れ、1年くらい発酵させ味噌にしていた。まあ手前味噌という言葉があるように各家庭で個性のある味噌を作っていたようだ。
☟ 太子堂 春の訪れを告げるお祭り 「太子絵伝」で有名!
またこのお祭りには、「やしょうま」という、米粉を原料にした細長い上新粉餅を供える風習があり、各家庭で作っていた。切り口に、花や、動物の模様が出るように、色の違ったものを組み合わせ、それを筒状に伸ばし、金太郎飴のようにしてカットしたものである。先日地元のTVでも特番を組んでおり、また近所からもおすそ分けしていただき懐かしく食べた!古き良き時代のを思い出に浸った!
ご参考↓
やしょうまについての動画
【LT】春を彩る30段雛飾りと「やしょうま」(長野)
https://youtu.be/scTZBxGS3xY ←引用元
コメント