【神社仏閣巡り】8年ぶりに訪れた明日香の旅! 最後は元薬師寺跡を訪れる!今は礎石しか残っていないが、奈良薬師寺の前身の寺!

日本の風景

8年ぶりに訪れた明日香の旅! 最後は元薬師寺跡を訪れる!今は礎石しか残っていないが、奈良薬師寺の前身の寺!

 

 

以前勤めていた会社で、2年半京滋市場(京都・滋賀市場。全国でも唯一1支店で2県(府と県を担当していた)を担当した。単身で赴任したので、土日、祝祭日の殆どは、神社仏閣名所旧跡巡りを楽しんだ。住んだのは、大阪府高槻だったので、京都は勿論、奈良・滋賀・兵庫・和歌山・三重などに行くには、絶好のロケーションだった。奈良には、車さえ混んでなければ1時間半くらいで東大寺くらいまでは行けた。

 

個人的な感想を言わせて貰えば、観光客で賑やかな洛内より、奈良のゆったりした寺社を気儘に、参拝がてら散策する方が好きであった。例えば、弘仁寺。この寺は「上撰の旅24 奈良・大和路」という観光案内本を、「次何処へ行こうか」と見ていて、目に入った寺院であった。大体の見当をつけて車を走らせるのだが、(当時はまだカーナビなどという便利なものは無かった)、辺り1面は畑で、こんなところに果たして寺などあるのだろうかと、畦道みたいな狭い参道を歩きながら思ったものだ。

 

このお寺も気に入って、何回も訪れた寺であったが、境内には誰もいない時の方が多かった。堂内に安置されている虚空菩薩像は、13歳になった子供に智恵を授ける十三参りの仏として知られるのだが、1度だけ近所にあると思われる小学校の児童が校外学習で、20余名が、ご進言を唱えながらお堂を回っていたのに出くわした時くらいだった。ご住職もおられたが、おそらく学校行事の1つとして、毎年行われているのだろう。

 

さて本日は、そんな雰囲気のお寺について書いてみたいと思う。明日香には何回行ったか分からない程、よく行ったのですが、飛鳥寺は、明日香村の往き帰りに、その前を通っていたのですが、それだけに何時でも参拝できるという意識があって、結局京都在任中行きそびれてしまった。それで8年後に改めて出直したことは以前書きました。

その続きになるのですが、飛鳥寺の後は、板蓋宮跡☞飛鳥坐神社☞大伴夫人の墓☞大原の里☞飛鳥東垣内跡地☞東通寺☞飛鳥水落遺跡☞雷丘☞善行寺☞藤原宮跡☞木殿神社と回りました。例によって、全く予定などを立てずに、場当たりで回ったのですが、何とか格好がついたのも、それだけ明日香には見るべきものが数多くあるという事なのでしょう。今回はレンターサイクルを利用したのですが、夕時になったので、借りた駅を目指して走り出したところ、「元薬師寺跡」という案内板が目に留まりました。

 

このお寺は、「跡」という事なので、礎石しか残っていない様なところで、私1人しかいない様な静かなところでした。

この寺は、現在奈良市の西の京にある薬師寺の前身にあたる寺です。天武天皇が後の持統天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。完成をみないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。

 

当時は、金堂や東西に二つの塔がありました。平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、別々に造られたという説が有力です。それ以来、この寺は元薬師寺と呼ばれる様になりました。

いま、寺には小堂が建っているばかりですが、前庭にあたる跡地には金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎などが残されています。現在、その背景には畝傍山が望めますがその光景は如何にも天皇が発願した官寺に相応しいものです。

 

さてここで8年振りにきた明日香の再訪の旅を終わりにしたのですが、飛鳥寺に至るまでにも、8寺社を回り、そのあとも12ヶ所行くことが出来ました。満足して、電車で京都まで戻りました。

やはり神社仏閣名所旧跡などを回っている時が「一番心が落ち着く」と再認識した旅となりました。

 

参考・引用

かしはら探訪ナビ

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画像 オリジナル・1部引用

「元薬師寺跡」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)
Yahoo!検索による「元薬師寺跡」の画像検索結果です。

 

 

 

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