【神社仏閣巡り】水内坐一元神社(長野市小島)を参拝する!近在では少ない御柱祭を行う神社!  

日本の伝統

【神社仏閣巡り】水内坐一元神社(長野市小島)を参拝する!近在では少ない御柱祭を行う神社!

 

 

友人がメンバーになっている「ハイカラモンキーズ」というバンドの公演が、長野市小島の東部文化センターで開催された。友人の誼で見に行った。バンド名でも解る通り、聴衆は年配者が多かったのだが、400名くらい集まり盛会だった。15:30終了。未だ日が高かったので、100mくらい先に、鎮守の森が目に入ったので行ってみた。田んぼの中に、鎮守の森があり、畦道を通って境内に着いた。

 

 

【水内坐一元神社】

 

宮司       長沼忠行

神社名    水内坐一元神社(みのちざいちげんじんじゃ)

鎮座地    長野市大字小島字樋堰南557

 

本社祭神名           建御名方命(たけみなかたのみこと)

例祭日    9月中旬 日曜日

由緒       小島の産土神。古くは水内社といった。天文22年(1553年)上杉謙信川中島出陣のおり、祭典料と制礼を寄附。

安政2年(1855年)水内最高の意をもって社号を改めた。

祭神 建御名方神、天照皇大神、猿田彦大神、太宰府天満宮(曹原道真公)古くは「水内の社」ともいう。上杉謙信信州川中島出陣のおり祭典料として永1貫文と書き付け並に制札を下付したという。境内には古い安永8年(1779)10月の打籠がある。

 

安政2年(1855)諏訪大明神を改称、水内の最高社の意を持って現社号に改められる。

明治41年10月には神明社、天神社、金比羅社を合祀。

昭和61年境内社造営し近在では少ない御柱祭を行う。

最近では平成22年4月約7mの太い柱2本をもって巡行し境内に古い手法をもって建上げている。

その時嘉永5年(1852)製作という市の文化財指定の門灯籠と踊り舞台を公開、獅子舞では伝統の三番豊を舞う。

3月に入っても、寒い日が多かったが、この日は晴天で、気温も22度くらいになり、窓も開けて車を走らせても、快適なドライブだった。文化センターに戻ったが、未だ白いものが残る周囲の山々が一望出来て気持ちが良かった。暖かくなってきたので、また、神社仏閣名所旧跡巡りを再開しようと思った。

 

☝ 北信五岳の1つ飯縄山が望めた

 

いきいきわがまち やなぎはら

柳原地区住民自治協議会公式ホームページ

水内坐一元神社
みのちにいます(まします)いちげんじんじゃ 祭神建御名方神、天照皇大神、猿田彦大神、太宰府天満宮(曹原道真公)古くは「水内の社」ともいう。 上杉謙信信州川中島出陣のおり祭典料として永1貫文と書き付け並に制札を下付したという。 境内には古い安

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