【神社仏閣巡り】妙徳山の中腹にある太郎山神社を参拝する!上田の太郎山神社から分祀された神が祀られている!
須坂市上八町の明光寺から、仁礼の妙徳山高顕寺へ行こうと思って、車を走らせていたら、妙徳山の中腹に、白いこんもりとした部分があった。須坂市内の桜は、満開を通り越して、大分盛りを過ぎていたので、この白い一群は将に満開の状態に見えたので、予定外であったが行ってみることにした。事ほど左様に先の事を考えていない。行先が見えているところに行くのであるから迷う事がない、即ち時間的ロスはないのだが、帰宅後いろいろ調べている時に、見落としがあったり、解っていれば寄るべき所があったりして、悔しい思いをすることが多い。
さてその白い桜の塊は、すぐ傍にあるのだが、どうやって行けばよいのか、なかなか見つからない。建築用の砂利の山があったりして近付けない。やっと小道をみつけ入ってみた。桜は尾根に沿って群生していた。小道に戻って下って行ったら、そこそこ広い場所に、鳥居と狛犬丈が立っていたところに出た。「神社の跡なのかな!?」と思った。よく見ると道はここで別れていて、登りの道があったので、そっちの方に入ってみた。1人がやっと通れるような狭い道だ。暫く行くと、山腹に古い建物があって、狭いが少し平らなところに出た。祠が3つ祀ってあった。
先程の鳥居と狛犬は、どうやらこの祠の入り口と判る。太郎山神社と称するらしい。
ここら辺は、須坂市の南端で、妙徳山が横たわっており、この一帯は上八町なのだが、この上八町には、講員40数名の「養蚕神太郎山神社講」があり、毎年小県郡神科村山口(現在の上田市)の太郎山神社へ代参していたという。須坂は、明治・大正・昭和初期に亘って、全国でも有数の製糸業の盛んな所だった。大正13年(1924)に、講員から「養蚕神建立願」が出され、同年(1924)年11月、(現上田市)太郎山神社より分霊許可されて建立されたものである。分霊を受けた太郎山には祭神が三神(伊邪那岐神(イザナギノカミ)伊邪那美神(イザナミノカミ)菊理比賣命(ククリヒメノミコト)であるので、ここ須坂の太郎山神社も石祠が三基祀られている。中央が養蚕神である。
この場所からは、鮎川の清流を眼下に、その向こうに上八町の家並みや田畑が広がって見え、千曲川・北信五岳も遠く望める。
先程も記しましたがこの祠のある山は妙徳山という。須坂市と長野市街地南東の若穂地区との境にある里山である。 西中腹に正三角地形の山新田集落を抱きこみながら、四方へ尾根を伸ばしてすくっと立つその姿たるや1300メートルに満たない山とは思えない立派さである。
小生は、旧市街地に住まいがあるため、どちらかという市の東端にある、明覚山の方に縁があり、南端の妙徳山は、1・2度しか入ったことがない。兼ねてから、頂上を目指し、東から西に向かう扇状地を眺めてみたいと思っているが、未だに果たせないでいる。今までと違った景色が見られると思う。
古くは明徳山ともいわれ、千曲川の東にあって山麓は降水量が少なく、古来、雨乞いの神として信仰された様だ。長野市側、須坂市側とも、頂上近くにある白鬚神社には稲穂がそなえられていることもあり、水による農耕の成功を感謝している山と思われる。
昔から地元民に愛し続けられている里山の代表格といってよい。
高甫地域づくり推進委員会
平成25年3月
「高甫地域 史跡ハンドブック」より
画像 オリジナル,
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