【名所旧跡巡り】東山つつじ公園に寄ってみた!つつじも今年は何時もより早く咲き、盛りを若干過ぎていたが、目に鮮やかな真っ赤なつつじが咲き誇っていた!
米子の一塔六地蔵は、灰野から、米子トンネルへ抜ける、二又の、里山の入り口にあるのだが、ここは、また、東山公園になっていて、6月初旬ころは、急峻な傾斜地に、真っ赤なつつじが群生することで有名。
米子の東照寺に寄って、自宅に戻ろうとした時、このつつじが気になって、寄ってみることにした。今年は、杏も桜も桃もりんごも、やはり花の咲くのが、7~10日ほど早く、まだ咲いていないと思ったつつじも、若干見頃が過ぎていた。
とはいえ、つつじの色は鮮やかな赤で、一部咲き頃を過ぎていたのは、事実だが、充分見甲斐があった。しかし道は無きが如き、其れも随分と急な斜面に咲いているので近づけなかった。(一塔六地蔵から、少し緩い山道があり、本来ならそこを通り、比較的楽につつじの傍まで行けるのだが、今回は工事をやっており、シートで覆われて通れなかった)このつつじ群の上には、養蚕社があるのだが、今回はつつじの撮影のみで、引き返した。
この養蚕社には、佐倉宗吾の霊を分祀してあるのだそうだ。佐倉宗吾と言えば、千葉県印旛郡にある宗吾霊堂に祀られている義民【佐倉藩領主堀田氏の重税に苦しむ農民のため、将軍への直訴をおこなって処刑されたという】である。なんでまたこんな北信濃の地に祀られているのかと不思議に思った。明治4年にこの地で水利権をめぐる争いがあったという事だが、その解決を見た際に、氏子総代が、千葉県印旛郡公津村(現成田市台方)に出掛け、宗吾の霊を分祀し、ここに祀ったという事らしい。須坂市立町の「呑龍さん」もそうだったが、こうして分祀して、地元に祀るということは結構例が多いのかも知れない。
またこの公園の一角には、坂田才兵衛の頌徳碑がある。 慶長年間、天災や疫病が続き、住民が相次いで、この地を離れた。才兵衛は、そのため廃村となるのを憂い、当時散らばっていた住民をこの字、北の原へ集め、塩野村の復興に心血を注ぎ、村を護ったと伝えられる。頌徳碑は才兵衛の偉徳を讃え250年祭を記念して大正8年(1919)に北の原を見下ろすこの地に建立されたという。
事務局 仁礼コミュニティーセンター
監修 勝山一男
編集 仁礼地域づくり推進委員会
平成13年2月発行
「須坂市 仁礼の里 史跡マップ」より
【花紀行】 宗吾神社 東山公園の真っ赤な躑躅目に鮮やか!
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