フランス紙が指摘…安倍首相が是枝監督のパルムドール受賞をスルーの理由!国民の栄誉を素直に喜べない狭量の首相!
平昌五輪で2大会連続金メダルを獲得した男子フィギュアの羽生結弦選手(23)への国民栄誉賞授与が、1日発表された。毎度のことだが、安倍政権の人気取りなのはミエミエだ。
直近でも、将棋の羽生善治竜王と囲碁の井山裕太七冠の国民栄誉賞の授賞式は、裁量労働のデタラメデータが発覚して安倍政権の支持率が下落した2月に行われている。
ところが、カンヌ国際映画祭の最高賞「パルムドール」を日本作品で21年ぶりに受賞した是枝裕和監督に対して、なぜか安倍政権はダンマリを決め込んでいる。
一体、何故なのか――。フランスの有力紙「フィガロ」が鋭く指摘している。
<日本政府にとってパルムドール受賞はきまりが悪い>という見出しの記事はこう続ける。
<是枝監督の受賞について、海外での受賞にいつも賛辞を贈る日本の首相は沈黙のままだ>
さらに、是枝受賞に沈黙することを<「万引き家族」は、政府への強烈な批評が評価され受賞した。是枝監督は日本の政治文化に対して強く批判をしてきた>と分析しているのだ。
実際、是枝監督は、安倍政権に批判的な立場をとってきた。安倍政権の放送法の曲解には「安倍政権は放送法4条だけを言い立てて、『公平にやれ』と、しきりにテレビ局を恫喝しますが、それって実は放送法を正しく理解していない証拠なんですよ」(「プレイボーイ」15年12月14日号)とバッサリ。
「安保関連法案に反対するアピール」や「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」にも名を連ねた。
安倍首相にとって、是枝監督はウザイ奴、なのだ。昨秋のICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した時も安倍首相はダンマリだった。政治評論家の山口朝雄氏が言う。
「安倍首相は、日本人が達成した偉業にも好き嫌いを持ちこんでいる。日本のメディアは問題にしませんでしたが、フィガロ紙からすれば異様に見えたのでしょうね。器の小さいリーダーであることを世界に示してしまいました。もっとも、是枝監督は別に、安倍首相の対応など全く気にしていないと思いますが」
政治も自分の好き嫌いでやっているが、凡そ「公的」な立場の存在が、そこに「私的」な物事を持ち込む事自体ご法度である。この5年を見ていると、安倍首相は悉く「私的」視点で、全てを取り仕切って来た。それの象徴的な出来事は、森友学園、加計学園事件だ。この一連の経過の中で、財務省など、行政の公文書を改竄して、安倍個人の立場を擁護させているのである。「公的立場」は、益々歪み、日本は危機的な立場に立たされている。
それらを規定しているのは、安倍首相の「裁量」であるともいえる。政治には、反対意見は付き物である。そういう意見も十分聞き入れ検証し、時には自分の政策にも取り入れ、「法」の公正さを常に意識せねばならぬ。検証どころか、益々「私的色彩」を強めている。反対する「立場」に対し、報復するようなこと迄している。
そういう中にあって、ICANのノーベル平和賞や、今回のパルムドール受賞に対しての沈黙は、首相の「反対の立場」・「反対意見」には、一瞥もくれないという事であり、根源的に、「公正の目」というものを持たないという事を表している。要するに「こんな人たち」という「範疇に入る人たち」であり、端から「相手にする人達」ではないという事を言っているのである。初めから「総理大臣」をやるべき器ではないという事を自己表明しているに等しい。即ち狭量なのである。自分に賛意を表していなくとも、「敬意を表する」というキャパの広さが欲しい。
安倍首相は、答弁だけでなく、やることすべてが見苦しい。
記事・画像 引用・参考元 日刊ゲンダイ
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