青木屋小路 蔵造りの建物に挟まれた「蔵の町須坂」の象徴的な風景
私の家から、徒歩3分くらいのところに、両側に蔵造りの建物に挟まれた小路があります。この小路は「青木屋小路」と呼ばれ、劇場通りと、寺内[勝善寺と2寺<昔は5寺あったが3寺は廃寺となる>がある]を結ぶ小路となっている。よほど気をつけていなければ通り過ぎてしまうような小路なのですが、須坂には、東西方向に下る街道筋に対して、1人がやっと通れるような小路が北南方向に走り、城下町特有な迷路みたいな形相を呈している。[青木屋小路は幅2mくらい]
劇場通りに立ち、西方向を見て、右手は明治期に製糸を営なんだ酒食料品店である「中屋」。左手は「旧青木屋製糸所」であった墨坂産業。小路の墨坂産業側はぼた餅石積みに切り石、そして重厚な築地塀が立っている。塀の奥には土蔵と木造3階建ての繭蔵跡が見える。
町並み 蔵の町須坂の散策 青木屋小路から劇場通りへ!
町並み 蔵の町須坂 青木小路 中屋酒店雛人形展示
青木屋の経営者青木甚九郎は須坂製糸業のリーダー的存在で、富岡製糸場を視察し、明治7年に座繰製糸から水車動力による器械製糸を導入しました。明治8年、日本で初めての製糸結社「東行社」を設立して、須坂製糸発展の基礎を築き、須坂の製糸業の発展により多くの町民が製糸業に携わりました。
この小路には、繭をお湯に浸し、木枠に糸を巻き取る仕事に従事していた個人宅が結構ありました。上記に記載のある「座繰製糸」のことだと思います。 ※ この糸を巻き取る際のカタカタ回る音が、須坂小唄にも擬音として謳われています。「ソリャ!カツタカタノタ! ソリャ カツタカタノタ」というお囃子の部分です。夏には、「カツタカタ祭り」があり、市民がこの須坂小唄を踊ります。
余談ですが、私が京都に赴任していた時に、昭文社の「上撰の旅」という観光ガイドシリーズの記事を執筆した人と知り合いました。例によって、ぶらり1人旅中の清凉寺で出会いましたが、「何処の出身?」と聞かれ、「信州須坂」と答えたら、「ああ!あの蔵の町の!?」ということになり、この青木屋小路の話しになりました。因みに同シリーズの、14巻、「長野軽井沢」の、63頁に、この青木屋小路の画像が掲載されています。「須坂も捨てたもんじゃねえなあ!」と思った次第です! 又もや余談ですが、この人は、「上撰の旅」の、取材、出筆をされていた方で、シリーズ24 「奈良・大和路」を担当されたそうです。いろいろと取材の際のエピソードなど聞きました。京都から、盛岡に転勤になり、停年まであと3年半というところで、入社以来一貫して「商事」に籍を置いてきたのですが、グループ会社のフリーペーパーの会社に志願して、残りのサラリーマン生活を過ごすことになりました。週立で50万部発行のFPでしたが、この時のT氏からいろいろお聞きした話が役に立ちました。この時はまさか自分が新聞の仕事に就くとは思ってもいませんでした。「万事塞翁が馬」というか、人との出会い、(サラリーマンの場合)何処に転勤させられるか、いろいろありましたが、まあ何とかなったなあ!と感慨深いものがあります!
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