「蔵の町須坂」は嘗ての製糸業華やかし頃の蔵が一杯! 交番・銀行・CVSまでもが蔵造り!
須坂は、長野県北部(北信)にある人口52000人の市です。江戸時代は1万1千石=須坂藩の陣屋町であった。明治から昭和初期に掛けては製糸業で栄えた。
明治5年官営富岡製糸工場が稼働したが、須坂では、同8年には、青木甚九郎、遠藤万作により、日本で初めての製糸結社「東行社」を設立し、以後俊明社[明治18年]などの設立を経て、明治22年には、東行社・俊明社合わせて、加盟工場102、女工3500人を数えるまでになり、須坂は生糸の一大生産地に成長した。
しかし乍ら生糸は高級な絹織物の原料であり、その需要は景気に左右され、また、大部分が輸出されていたこともあり、糸価の変動にも即対応が難しく、また化学繊維の出現により、衰退を余儀なくされた。小生の幼少の頃まで、僅かに残って居た個人宅での糸取りの家内工業もすっかり姿を消してしまった。(その後精密機械工業などに転換していった)
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現存する「蔵」の多くは、明治時代から昭和初期にかけてこの地に繁栄した製糸業の象徴としての遺産である。市内には数多くの蔵造りの建物があるが、その蔵の特徴は、地域一帯の画一、均一的なつくりではなく、それぞれの家による特徴的・個性的な蔵になっている点である。昭和61年頃から、行政による「歴史的町並み景観事業」等の取り組みがあり、それに呼応する、中心市街地の活性化を目的に結成された「信州須坂町並みの会」による活動などにより、現在では幾つかの繭倉が観光資源として活用されるに至っている。
そういう歴史的な背景のある「蔵の町須坂」であるが、公共施設や、商業施設なども「蔵造り」をイメージして建てられている例が多い。こぞって「蔵造り」の町なのである。
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