京都・花街「一見さんお断り」の本当の意味とは? 敷居が高い? 高飛車?と思われがちだが!?

京都探訪

京都・花街「一見さんお断り」の本当の意味とは? 敷居が高い? 高飛車?と思われがちだが!?

 

1千有余年の雅な京都には、我々の窺い知れない格式や風習と言ったものがある。小生はサラリーマン時代、2年半京都に赴任した事があるが、他のエリアとは違った、商慣習や、考え方に戸惑ったことが多かった。そんな京都の窺い知れない面を探ってみた。第1弾は「一見さんお断り」について記してみた。

 

京都で祇園や先斗(ぽんと)町といった花街にあるお茶屋の殆どは「一見さんお断り」、すなわち紹介がなければ入る事ができません。この為、多くの人は「敷居が高い」とか「お高くとまっている」という印象を持っている人は多いのではないでしょうか。

 

ところがこの「一見さんお断り」というのは別に排他的だったり“格式を重んじる”といったりする理由ではなく、極めて合理的な理由が存在するのです。それを理解するには花街のビジネスの仕組みを理解する必要があります。因みにこの花街という言葉、多くの人は“はなまち”と読んでいるようですが、正しくは“かがい”です。このお茶屋というシステム、一体どんな仕組みになっているのか?経済コラムニスト、大江英樹氏に語って戴いた。

yjimage-43

【「一見さんお断り」は、じつは合理的システム】

 

お茶屋というビジネスは基本的には貸席業です。自分の処では、料理もつくらなければ芸妓さんや舞妓さんも置いている訳ではない。客が来ると、料理は料理屋から取り寄せ、置屋から芸妓さんや舞妓さんを呼びます。花街の事を別名三業地とも言うが、これはお茶屋、料理屋、置屋の三つの業から街が成り立っていると言う意味なのです。

 

ところが、このお茶屋の女将さんというのは結構大きな力を持っています。芸妓や舞妓がお茶屋に上がるには必ず“お母さん、おおきに”と挨拶をするし、舞妓がデビューするときも必ず、お茶屋のお女将さんに挨拶をして廻ります。では何故、単に席を貸すだけのお茶屋の女将さんがそんなに力を持っているのでしょうか。女将さんというのはプロデューサーだからです。

 

“お茶屋”というのは、単に貸席業というだけではなく、花街におけるあらゆるエンターテインメントのエージェント的な役割を果たしているのです。

yjimage-34

お客が食べたいというものを取り寄せ、お客の好みに合わせて唄や踊りの上手い芸妓を呼び、お茶屋で遊んだあと、ちょっと何処かで飲みたいといえば、クラブやスナックを紹介してくれます。更にそれが接待なのかプライベートなのか、どの程度の気楽さなのかも判断し、お客が最も快適に過ごせるように気を配って全てを手配するのです。帰りのタクシーやハイヤーは言うに及ばず、もし東京から来ているのであれば、帰りの新幹線の切符の予約に至るまで、全て女将が差配してくれます。しかも、それらの支払の多くはお茶屋が立て替えるのです。料理や飲み代、芸舞妓さんへの花代は勿論のこと、馴染みのお客になるとタクシーや新幹線代まで全てお茶屋が立て替えて支払ってくれる事もあります。

 

いわばすべてが掛け売りのシステムで、その場で支払うわけではありませんからお茶屋はリスクを負う事になります。当然初めてのお客にこんな事ができる筈はありません。然るべき紹介者によって身元の確かな先でないと、掛け売りは困難です。従ってこの「一見さんお断り」は一種のリスク回避の為の仕組みです。

 

【目には見えない「会員制」が最高のおもてなしを提供する】

 

更に「おもてなし」の面からも「一見さんお断り」のシステムは機能している。言い換えればお茶屋のシステムは「会員制」の仕組みとも言えます。ただ、明確な規約やルールが存在している訳ではない、言わば目に見えない「会員制」です。たとえ規約がないと言っても、そこを訪れる多くのお客さんが快適に過ごせるよう、花街における暗黙の約束事を理解し、良識のあるマナーを弁えた人間でなければ、お茶屋に出入りする事は出来ません。

 

これは金持ちでなければ駄目という事ではありません。高額な入会金や会費でもって顧客を選別する、いわゆる「富裕層」向けの会員制クラブ等がありますが、これらとは趣旨が全く異なります。現に普通のサラリーマンでもお茶屋の馴染み客になっている人はいます。幾らお金持ちでもマナーを弁えない人は女将さんからやんわりと断わられる羽目になるでしょう。

yjimage-38

このように「一見さんお断り」は、お茶屋に遊びに来る客が気持ちよく楽しく過ごせるように最高のおもてなしをする為には必要なシステムと言えるのです。かつそのシステムを経済合理的に維持できるようにしている仕組みとも言えるのです。花街には音楽や舞踊だけではなく、美術や衣裳といった様々な文化が息づくところです。その文化をお茶屋という舞台で芸妓さんや舞妓さんというキャスト、そしてお客が一体となって作ってきた歴史といえるのではないか。そういう意味では「花街」も間違いなく京文化の一つと言っていいだろう。

 

引用・参考元

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161013-00000011-wordleaf-life

コメント

タイトルとURLをコピーしました