「いつもこうなんですか」。野田佳彦前首相が言った。2月19日の衆院予算委員会。民主党は野田幹事長が質問に立ち、2012年11月の党首討論以来の安倍晋三首相との直接対決をした。
野田幹事長はまず、「4年前、安倍首相が国会議員の定数削減をすると約束したから、私は衆院を解散した。この約束を覚えていますか」と聞いた。
安倍首相は定数削減に関する4年前からの取り組みの説明を続け、各党が現在話し合っていることは「大きな前進だ」と締めくくった。自身が「長い」と認めた答弁。それに対し、野田幹事長はあきれたように冒頭の言葉を漏らしたのだ。インターネット中継で見ていたが、「知らなかったの? いつもこうだよ」と突っ込みたくなった。
野田幹事長はさらに「13年の通常国会で『定数削減をする』と約束したのに実現していない」「結果を出し切れないことに国民におわびの言葉があると思った」と追及した。一方の安倍首相は「民主党は80人減らすと言ったのに1人もできなかったが、自民党は0増5減はした」「我が党にも責任はあるが、共同責任だ」と答えた……。
【お母さんだってやってると子供が言い返すパターン】
国会中継を見ていても安倍首相の答弁が荒れている。と言うか、まともに議論する姿勢が希薄なのだ。はぐらかし、すり替え、言い返し、混ぜ返し、肩透かし(質問されていることに応えない)逃げを打つ、まるで子どもの口答えのようなのだ。「ご飯が食べられなくなるからつまみ食いしちゃダメ」と子どもに諭すと、子どもは「だってお母さんだってしてるじゃないか」と言い返すパターンに似ている。
特に民主党が相手だと安倍首相はムキになる。「そうは言っても経済は民主党政権時代に比べよくなったんですよ」とか、「だったら民主党は対案を出してくださいよ」とか。野田幹事長は「民主党を酷評して自画自賛する答弁は、首相の悪い癖だ」と指摘した。「いつもこう」だと知っていたのだろう。要するに、論点をまともに受け、論理で返さないで、論理以外の事で応える。まるで経済的やり取りを、経済とは直接関係ない力関係で捻じり倒す=経済外強制と同じだ。全く品性のない例で恐縮であるが、子供の言い合いで、旗色の悪い方が、「お前のかあさん!出べそ!・・・」などと言って、相手を怯ませるやり方と一緒だ。次項などはその典型的な例だ!
【民主党をぎゃふんと言わせたがる首相】
そんな答弁が目についたのか、日経新聞が2月14日朝刊の「永田町インサイド」に<安倍流 攻めの答弁術>という記事を載せた。言語学の東照二・立命館大教授は語尾に「よ」を付ける話し方に注目している。例えば、2月4日、民主党の大串博志衆院議員とのやりとりで、安倍首相は「(民主党から改憲草案は)何も出てないんですよ。出してみてくださいよ」と重ねて迫った。東教授によると、語尾に「よ」をつけるのは「力関係で相手に勝っているとの心理の表れ」。今国会は昨年に比べて「非常によく使っている」という。「安倍1強」が一層強まったからだろうが、上から目線では建設的議論にならない。国会質疑はディベートではない。相手を言い負かして、ぎゃふん(それも経済外強制的な手法で)と言わせるのが目的ではない。相手の話を聞き、答える中で相手を説得し、考えを国民に伝えるものだ。
首相ともなれば、どっしり構えて、自分の政策を堂々と披歴して、矢継ぎ早に放たれる質問の数々に対して真正面から受けて立つというのが筋ではなかろうか!政策というものがあるのなら、熱意をもって、相手を説き伏せる(!?)姿勢が大事だ。(逃げていてはいけない!)
【親分に倣って子分も?】
自民党60年に当たっての毎日新聞のインタビューで、不破哲三・前共産党議長は昨年秋、次のように語っている。「田中角栄さん、福田赳夫さんらは、国会論戦でもこちらの指摘に対し、真摯(しんし)に向かい合う姿勢があった」「今は株価だけを見ている」「最後は数の力だと思い込んで論戦を軽視している。自民党には逃げずにちゃんと論戦のできる相手になってほしい」(毎日新聞15年11月24日朝刊)
堰を切ったように閣僚や国会議員の失言や放言が飛び出している。安倍首相の責任は大きいと思う。(首相御自らヤジり、委員会がしばしば中断したこと数知れず!)
丸川珠代環境相は、除染などによる年間の追加被ばく線量の長期目標について「何の科学的根拠もなく、誰にも相談せず、その時の環境大臣が1ミリシーベルトまで下げた」と、民主党に責任を押しつける事実無根の発言をした。安倍首相が得意の民主党バッシング。親分がやっているなら、子分も同じことをやっていいとなるだろう。政策論争以前に論戦の仕方からして今は真面ではないのだ! お忙しいとは思いますが1回国会中継を見てください!
論戦相手の向こう側には国民がいることを忘れてはいけない。
引用・参考元 毎日新聞 2016年2月29日山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員
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