小生の現役時代の話だが。どうも近ごろの若いもんは・・・といいたくなるような事が多かった!小生の入社したころの会社は、今様に言えば、押しも押されぬ立派な[!?]ブラック企業で、わたしゃ「タコ部屋」に来ちゃったんじゃねえのかと思ったねえ。なにせ人を呼ぶときに、名前を言ってくれない! 「てめえ!この野郎!ちょっと来い!」てな調子だった。それも120kを超える巨漢な支店長で、紺の地に紫のストライブが入っている派手な背広を着こんでいたひとで非常に迫力があった。[誤解の無いように言っておきますが、上下関係が非常に厳しい特殊な業界に属する会社ではなく極一般的な会社である]
そんな環境の中だと、一々言われたことを気にしていちゃあ、命がいくつあっても足りないとばかりに、新入社員と雖も、くよくよせず、表面を合わせて、抜くところは抜いて、まあ!要領よく立ち回っていた。そんな異常な環境だったが、誰一人として、精神的に参って会社に来なくなったなんて奴は皆無だった。[またまた誤解のなきようお断りしておきますが、そういう環境が良いと言っているのではありません!為念!]
今そんなことがあると、会社に来なくなったとか、体が不調だとか、自律神経失調症やら、うつ病だやらで大変なことになってしまう。営業職から、事務職に変わったなどという例も多いと聞く。
近頃の若いもんは、親にも叱られた事がないのではないか!? 非常に「デリケートな感じがする人」が多いと思う。まあ!新入社員の頃の小生のような「カエルの面に何とか」でも困るが、一々自分の身に感じ過ぎて、くよくよしても「なんだかなあ!」と思わなくはない! [実際<テメエのような奴は「カエルの面にSHONBENて言うんだ!」と何度言われたか判らん!>]
核家族化したころから、精々多くても2人くらいしか子供が居ないお宅が増えた。勢い子供に手間ひまを掛ける親が多くなったのも原因の一つになっているのではないか?
私のような団塊の走りのような世代では、兄弟が4人や5人なんて家はザラに存在した。私も4人兄弟だったが、食事なんかも、大した内容の食事ではなかった上に、当時は副食(そんな風に呼べる代物ではなく納豆なんかは大したご馳走だった)なども小分けなんかしなかったから、モタモタして居れば、食いパグれてしまうから、食事と雖も戦争だった!大袈裟に言えば命に関わった。
中学の時、昼休みに、遊びに夢中になって、午後1番の授業に、集団で遅刻したことがあり、素直に謝れば事なきを得たのではないかと思うが、屁理屈を言い放ったおかげで、男子生徒全員<即ち連帯責任とやらで>24名(当時1クラス45名くらいだった)が、ずらっと並ばされて、教師に端から殴られたことがあった。教師も教師で、10人くらいまでは素手で殴っていたが、途中からスリッパで殴りだした。小生は出席番号9番だったので、素手で殴られた口だったが、頬に手の跡が浮かび上がるほどひっぱたかれた!
家に帰って親に「そんな事があった」と話したら、「そんなもんおめえ達が悪いに決まってるだねか! いい薬になったわ!」の一言で終わり。これが今だったら、体罰とやらで、ものの見事に新聞沙汰だ![小生の小学校1・2年の担任の先生は女の先生だったが、後に教わった先生(すべて男性)の誰よりも厳しい先生だった!両手にバケツを持たされて廊下に立たされたなんてほんの序の口だった! 6年前にお亡くなりになったが毎年年賀状の遣り取りをさせて戴いた]
鉛筆自体も使わなくなったせいもあるかと思うが、我々の頃は、小刀というのがあって、それで削って芯を出して使ったものだ。慣れない頃はその小刀で手を切って痛い目に遭った。だから手を切らないで鉛筆を削るにはどうしたらいいかとか自分なりに考えた。近頃のお母さんはこれに限らず冒険(!?)などさせないと聞く。
昭和の親は、子供が粗相すれば、竹の物差しなどで、遠慮なく叩いた。これが涙の流すほど身に応えた。しかし「顔や頭」とやらを決して叩かなかったのが昭和の親であった。後で「痛いの痛いのとんでけえ!」など唾かなんか適当に付けて擦ってくれたりもした。[それなら最初から叩かなければいいじゃないかと思ったりもしたが!]
ものに当たるのを忌むのは単に「ものを大事にせよ」ということを言っているのではない。最近の犯罪は児童・老人虐待・虐めなどが多発しているが、ヒトをものとしてしか見れない、ものとしか扱うことが出来ない結果だと思う。ものにも命が宿る。ましてや「生き物においておや!」である。近頃は竹の物差しで叩いても、唾を付けて擦ってくれた愛情に欠けるのである!
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