生誕150年 夏目漱石エピソード!“文豪らしからぬ”意外な逸話が!
日本の文豪として真っ先に思い浮かぶのは、夏目漱石だろう。今年生誕150年を迎える。入試に出題されたり、ミュージカルが上演されたりするが、どんな人だったのかよく知らないという人も多いのではないか。
漱石の人物像がうかがえるエピソードを拾った。
■ナイーブなハート
生まれてすぐ養子に出され、養子先の両親の離婚により9歳でまた実家に戻るなど、複雑な家庭環境で育つ。そのせいか心は病み気味に。30代のロンドン留学時には、異国生活に慣れず部屋にこもって泣いていたのを関係者に発見され、「夏目狂セリ」と日本に電報が送られたという。
■容姿にコンプレックス
3歳でかかった天然痘の痕が顔の右側に残ったのを気にして、お見合い写真を修整。写真撮影時には顔の右側が写らないよう、左側を前にナナメに角度をつけたポーズが定番だった。滝クリみたいな“画像加工”は漱石の“専売特許”か。
■おばけが怖い
妻・夏目鏡子述(松岡譲筆録)の「漱石の思い出」によれば、寝る前に「怪談じみた因縁ばなし」をすると、怖がってすぐ降参したという。子供っぽくて親近感が湧く。
■今ならDV
前出「漱石の思い出」には、火鉢の横に座っていた3歳の娘を突然叩くなど、子どもや妻に対して理不尽な暴力を振るっていたそうだ。“オレさまDV”は怖い。
■ロマンチスト
妻子に冷たくあたっておきながら、ロンドン留学中は鏡子に「御前が恋しい」とラブレターを送ってもいる。寂しがり屋か。
■猫にも自分を投影
こんな具合で、関係者や研究者によって漱石像はずいぶん変わるが、陰鬱なエピソードが多い。文芸評論家の仲俣暁生氏は「作品からもそんな傾向がうかがえる」としてこう話す。
「『吾輩は猫である』は、猫の飼い主である英語教師・珍野苦沙弥が漱石自身の投影とされていますが、実は猫の方にも自身が映し出されていると思います。『どこで生れたかとんと見当がつかぬ』というのは、赤ん坊のときに養子に出された漱石と同じような境遇です」
この作品中には苦沙弥先生のセリフとして「探偵と高利貸ほど下等な職はないと思っている」という一文が。
「漱石は探偵嫌いで有名でした。深刻なノイローゼ状態で、常に誰かに見張られているように感じていたからだと考えられています。でも嫌いと言いながら、『彼岸過迄』は探偵小説仕立てになっている。探偵という職業に異様にこだわっていたことが見て取れます」
国語の教科書にもよく掲載される「こころ」にも、漱石像を忍ばせるシーンがあるという。主人公の“私”が、父の死病に際し実家に帰省する場面だ。〈田舎の因習、家というしがらみの中で“私”は少し引いた目線で家族を見つめ、最終的には危篤の父を置いて東京で出会った“先生”の元へ戻る……〉というくだりである。
「漱石自身、親族とのしがらみで苦労しました。この一節には、漱石の経済感覚や、現実的なものの考え方が表れているように思えます。漱石はお金に細かく、朝日新聞入社時にも給料などの条件を非常に細かく交渉したといわれているのです」
■ニートの若者が共感
こうして作家の人生や性格を踏まえながら作品を読むと、また違った楽しみが味わえそうだ。「漱石は中高生で読むより、大人になってから読んだ方が面白い。特に、ニートの若者が読むと共感できるはずです。登場人物は、多くが“高等遊民”、つまり就職をせずブラブラしている若者たちですから」
「こころ」の主人公もニート。漱石を読めば、手を焼く子供の気持ちが分かるかもしれない。
記事・画像 引用・参考元 日刊ゲンダイ < view/life >
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