<東日本大震災6年>今もあふれる思い 各地で犠牲者の冥福・鎮魂の祈り

祈り

<東日本大震災6年>今もあふれる思い 各地で犠牲者の冥福・鎮魂の祈り

 

東日本大震災から6年となった11日、各地で追悼行事が営まれた。東京では政府主催の追悼式もあった。関連死を含む死者は1万9416人、行方不明者2553人。地震発生時刻の午後2時46分、多くの人たちが大切な人に鎮魂の祈りをささげ、古里の復興を誓った。

 

「おじいちゃん、おばあちゃん、戻って来て」。宮城県石巻市であった慰霊碑除幕式。粉雪が舞う中、市立釜小5年、阿部充樹さん(11)は、津波で亡くなった祖父孝衛さん(当時72歳)と祖母とく子さん(同64歳)に心の中で呼びかけた。

あの日、充樹さんは職場から駆け付けた会社員の母(41)に連れられ自宅の2階に上がって助かったが、祖父母は逃げ遅れて帰らぬ人となった。「5年間しか一緒にいられなかったけど、次の運動会も2人が見てくれている気がする」。6年生の運動会では綱引きで活躍する姿を天国の2人に見せるつもりだ。

 

「子育てに迷ったら、お父さんやお母さんだったらどうする?」。岩手県大槌町の曹洞宗吉祥寺の慰霊碑除幕式に参列した盛岡市の川嶋裕子さん(44)は、津波にのまれた父倉本謙吾さん(当時65歳)、母光子さん(同63歳)に問いかけた。父は腕のいい大工で、仕事の合間に漁に出かけたり、山でマツタケ狩りをしたりと手を休めずに3人きょうだいを育ててくれた。母は料理上手だった。「娘たちを船に乗せてくれたり、おいしい物を食べさせてくれたりしたね」

 

東京電力福島第1原発の北約5キロにある福島県浪江町請戸で行方不明者の手掛かりを探していた同町出身の警視庁巡査長、鈴木弘さん(29)は「みんなが笑顔で帰れる町づくりを支えられる警察官になりたい」と誓った。

全国の警察から福島に派遣され捜索に携わる警察官の一人だ。

 

6年前、警察学校で授業を受けていた時、テレビで古里が津波にのまれる光景を見た。家族は無事だったものの、福島第1原発事故で実家は避難指示区域内になった。当初は里帰りするにもゲートをくぐり、防護服を着なくてはならなかった。腐った床やはがれ落ちた瓦を見て何もできないふがいなさを感じた。古里の再生に役立とうと今春、県警に移る。

 

午後2時46分、福島県南相馬市小高区の墓地にサイレンが鳴り響いた。津波で曽祖母と祖父母の3人を亡くし、50キロ以上離れた避難先で暮らす小学5年の村田日和(ひより)さん(10)が「生まれ変わっても3人に会えますように」と手を合わせた。

原発事故による避難指示は昨夏に解除された。でも、避難先での生活の方が長くなった日和さんは「友達と離れたくないから(南相馬に)引っ越したくない」。心は揺れている。

 

 

記事・画像 引用・参考元 Excite News <毎日新聞>【野口麗子、高井瞳、加藤栄】

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