<東日本大震災から早や6年>「時間は止まった儘」名古屋避難の男性

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<東日本大震災から早や6年>「時間は止まった儘」名古屋避難の男性

 

 

東日本大震災の犠牲者追悼式が11日、名古屋市中区の久屋大通公園で開かれた。愛知県内に避難する被災者やボランティア、市民らが献花して黙とうし、蝋燭をともした。

 

震災が発生した午後2時46分と午後6時46分に黙祷。実行委員会の浜田ゆう委員長が「これからも被災地と被災者に心を寄せていきます」と宣言した。蝋燭の火は「追悼 東日本」などの文字を浮かび上がらせた。

福島県南相馬市から名古屋市南区に避難した伊藤広昭さん(63)は「震災当時から時間は止まったまま」と話した。昨年11月に南相馬市の家を解体した。解体には立ち会わなかった。「家がなくなった実感はまだない。これからは自分の居場所を見つけなければ」と静かに語った。南相馬市から名古屋市内に避難してきた男性(41)は、震災当時生後1カ月だった長女(6)を見つめて「6年はあっという間。あの日から何も変わらないように思うが、子どもはどんどん大きくなる」と話し、抱きついてきた長女に笑顔を見せた。

 

会場近くでは、岩手県の地元紙・岩手日報が「特別号外」を約1000部配った。被災地の現状や支援への感謝を伝えようと震災翌年から続けていて、今年で6回目。谷藤典男・編集局次長は「語り継ぎ、受け継いでいくことが大切。災害への備えの重要性も訴えたい」と話した。

号外を受け取った愛知県刈谷市の40代男性は「宮城県出身で、発生5日後に沿岸部を訪れた。親戚の家が流され、たくさんの遺体を見たことを思い出す。前に進むしかない」と語り、号外に見入っていた。

<私見>自分の身になって考えることが必要ではないか!? 被災者の中には、家族を複数亡くした人もいる。家を流され、職場も流され、「今日をどのようにして生きたらよいのか」途方に暮れている人も多い。住むところがない、働きたくも働く場がない、ローンものこっている、家を建てようと思えば新たなるローンも組まねばならない。未だに避難住宅住まいの人も多い。特に福島はその上に「放射能の問題も大きく」のしかかる。もし自分だったらどうだったんだろうと考えるべきだ。政府は依然として放射能線量が大きい値を示しているのに「安全宣言」を出し、帰宅困難地域の指定を外している。チェルノブイリ原発だって未だ問題視されている中、たった6年で線量など落ち着く筈が無い。現実を無視して「解除」を進め、「アンダーコントロール」を演出している。問題の立て方が逆立ちしているのではないか!? 現在健康被害を訴える住民が急増しているという。本来人間が住めない環境を、「安全宣言」を出して住まわせるというのは大きな問題となると思う。メンツが先か命が先かという問題だと思う。命が大切だという事は言うまでもない。

 

 

記事・画像 引用・参考元 Yahoo News <毎日新聞 >【野村阿悠子】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170311-00000098-mai-soci

 

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