【神社仏閣巡り】 800年の歴史を誇る、長野県下随一の浄土宗の寺院である「浄運寺」薫風の中境内を散策(参拝)!
- 名称 井上山浄運寺 ●宗旨 浄土宗
- 本尊 阿弥陀如来 ●開基 角張入道成阿弥陀仏
- 開山 寂蓮社寿長不乱大和尚 ●草創 建保二年(1214年)
須坂市には、規模の大きな寺が3ヶ所ある。柳島山(りゅうとうざん) 勝善寺<浄土真宗大谷派>須坂市本上町、大岩山 普願寺<浄土真宗本願寺派>須坂市南原町>と、この井上山浄運寺である。人口5万2千の地方の市に、この様な規模のある寺院が3寺もあるというのは珍しいのではないかと思う。勝善寺は正門の斜め前が小生宅であり、境内で、野球をやったり、大屋根に向かって、石を投げたりして怒られたりした寺で、それこそ「日常の寺」という趣であった。普願寺は我が家の菩提寺であり、(今でこそ市営墓地に移ってしまったが)、お盆や、法事のなどに顔を出したので、この2寺は前からよく知っていた。この浄運寺は、50余年振りに須坂に戻って、初めてその存在を知ったので、本日を含めて、3回目の参拝である。妙徳山に抱かれ、高低差のある広い境内は魅力的だ。
浄運寺は建保2年(1214年)に法然上人の弟子である角張入道成阿弥陀仏(かくはりにゅうどうじょうあみだぶつ)が開き、不乱房寿長上人が初代住職となった、およそ800年の歴史を誇る、長野県で一番古い浄土宗寺院だという。角張入道は地元、須坂市井上の出身。法然上人に常髄近侍し、上人四国流罪の際に輿(こし)をかついだと伝えられている人で、師法然上人赦免後、信州に帰って浄運寺を開基された。
以来歴代住職は、十五世俊観上人が会津の井上浄光寺を建立したのをはじめ、川中島合戦後二十七世梵誉上人が綿内の正満寺、二十八世皇誉上人が福島の浄国寺、そして三十一世勝誉上人の法弟が米持の西蓮寺を建てて末寺とし、念仏信仰を広める根本道場として現在にいたる歴史を刻んでいる。緑に囲まれた七千坪の寺域に七堂伽藍が整然と位置し、別格河東の三運寺の一つに数えられた名刹である。
車の通りを折れると600メートルにわたる大門がリンゴやブドウ畑の中をまっすぐに延びている。ここら辺が如何にも信州のお寺という感じがする。途中には仏教があらゆる教えの究極、最高の真理であることを表す「第一義」の碑がある。
やがて小高い山のふもとにさしかかると、仁王門が建ち、山寺の雰囲気を伝えています。仁王門の横には、角張成阿上人古塔碑が建立されている。敷石を進み、江戸時代の念仏僧・徳本行者の南無阿弥陀仏の名号碑を左手に見て、四十八段の急な石段を登ると、本堂は寛政6年(1794年)に再建された、間口十三間欅造りで、欄間の十六羅漢・二十四孝の彫刻は亀原和田四郎作りだという。
また、本堂の左わきには六角堂(釈迦堂)が静かに佇んでいる。寺には徳本上人や俳人小林一茶など昔から高僧、文化人が多く来山しており、最近では大本山増上寺法主の大野法道台下、善光寺上人一條智光台下、鷹司誓玉台下、また作家の井上靖、中野孝次、評論家の山本健吉氏らが訪れている。
寺は日々法務に勤めるほか、寺報、経本、小冊子など各種印刷物を発行。またお経の勉強会、花まつり、観桜会、講座「無明塾」の開催、全員参加方式の法要などを通じて、時代に即応したさまざまな活動を行っている。
本堂屋根は全面改修をしたところであるが、未だ境内は工事をしており、丁度昼時いったので、職人がお堂の前で仮眠などしていた。5月の薫風のなか、のんびりと参拝できた。
引用・参考元 浄運寺HP
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