両端が残っているのは須坂–高山間の基準線のみ!高山村史跡に指定されている、須坂基線東端点(1等3角点)について!
須坂基線とは、ここ高山村にある東端点から、これより3km先にある、須坂市小河原町の西端点結ぶ直線のことを言います。明治政府は、正確な日本地図を作成するために、全国に三角点を設置すべく測量を開始しました。当時の測量は、三角点の角度を測っていく方法(三角測量という)で、この角度を測るだけでは、三角形の大きさを決めることが出来なかったため、一辺の長さを測量することにより、他の2辺の長さを計算によって求めました。この測量した1辺を「基線」と称しました。
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この基線は全国で15か所において設けられたものです。須坂基線は、長野、群馬、岐阜、福井、石川、富山、新潟の7県に亙る「美信三角測量網」の基準として、明治29年に参謀本部陸地測量部により設置されました。この測量は、数メートルの基準尺を使って順次測っていく方法で、極めて根気のいるものでしたが、現在の人工衛星を使った最新計測値と、僅か10mm未満の誤差しかないという極めて正確であったことが確認されています。
現在に至るまで、完全な形[両端点]で残って居る1等3角点は須坂基線のみであり、全国的に見ても希少・貴重な存在となっている。須坂市・高山村はこれを指定遺跡に認定しました。
まあ地味な史跡と言えば、確かにそうですが、全国に15か所しかないもので、しかもしっかり現存しているという事は、須坂、高山村の、歴史的なものを大切にするという姿勢が伺われて、市民としても嬉しいことである!
東端点に行ったからには、西端点にも行って来ねえといかんわなあ! !!??
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