この国の首相は経済学の基本概念「エンゲル係数」の意味さえ知らぬ!国会の場で珍答弁を展開! エンゲル係数の上昇は「食生活の変化!数字が上がっているから国民生活は向上!」とのたもうた!
「この度の日本の国会にはびっくりしました」
大新聞やテレビは例によって、余り報じていないが、31日の参院予算委員会で「エンゲル係数」を巡って、珍妙な答弁が展開された。
民進党の小川敏夫議員がアベノミクスによって国民生活が苦しくなっていることを表すデータを挙げる中で、「生活の豊かさを示すエンゲル係数が顕著に上がっている」と指摘。これに安倍首相は、「(エンゲル係数の上昇には)物価変動、食生活や生活スタイルの変化が含まれている」と反論、「景気回復の波は全国津々浦々に」と、いつものフレーズを繰り出したのだ。
えっ! 生活スタイルの変化? エンゲル係数は消費支出に占める食費の割合のことで、一般に「その係数が高いほど生活水準が低い」というのは経済学の「基本中の基本の常識」じゃないのか。予算委員会の出席者は「えっ!」と我が耳を疑った!
エンゲル係数は、「食費は生活の基礎的な部分。支出に占める割合が大きければ大きいほど、生活に余裕がないという事を表す指標です。安倍首相の答弁はテストなら0点ですよ。『生活スタイルの変化』と言いますが、ひところは『外食にシフト』というデータもありましたが、今や外食の単価が下がり、ワンコインでおつりがくることもある。外食費は多くありません。安倍さんや麻生さんは1万円を超えるステーキを食べに行く金持ちだから、自分と国民の違いが分からないのでしょう」(経済評論家・斎藤満氏)
安倍首相の経済指標の“恣意的な解釈”は毎度のことだが、予算委でアピールした「有効求人倍率が全都道府県で1倍を超えた」「パートの時給が統計開始以来最高」というのも眉唾だ。自分の内閣の功績を「私の内閣の以前の内閣では…」と前内閣をこき下ろし、「それに比べて、我が内閣は…」と自画自賛するが、これとて、都合の良いデータを引っ張ってきての芸当だから、いわば子供が言い張る「お前のかあちゃん!出べそ的な代物だ!総じて首相の「自慢話」は、そんなレベルでしかなく、とても国会で答弁に耐える内容ではない。下手をすれば「虚偽答弁」の部類だ。
因みに「有効求人倍率の求職者というのはハローワークに行った人だけ。失業保険が出る期間を過ぎてハローワークに行かなくなった失業者は含まれません。賃金が上がっていると言いますが、財務省の『法人企業統計』によれば、企業の人件費は2012年10~12月期の44兆円に対し、直近の17年7~9月期でも44兆円のままです。パートの時給が上がっても、勤務時間を減らしているので、賃金は増えていません」(斎藤満氏)
目を背けたくなる数字をもうひとつ。安倍首相が渇望する「デフレ脱却」宣言を阻むのは個人消費の弱さだが、第2次安倍政権発足から5年(17年7~9月期まで)の軌跡を見ると、名目GDPは11.4%拡大したが、個人消費は4.3%しか増えていない。つまり消費低迷は長期化しているのである。有史以来の好景気は、まさに一部の企業の事。しかも経済的に努力しての「好景気」ではない。輸出企業の「為替の差益」で数字丈が独り歩きの結果の好景気でしかない。
序にもう一つ。大企業が儲かれば、そのお零れが、巡りめぐって、全国民に行き亘ると、のたもうたが、ご存知の如く、しっかり抱え込んで、一滴のお零れも「我々庶民」には、滴り落ちてこなかった。
目を背けたくなる事実をもう一下り。経済学上の「基本概念も知らぬ」のは前述した。加えて、自分が専攻した「法学部政治学科」の必須科目の「憲法」をはじめ基本六法(政治学だって最低このレベルまでは学ぶ)も、どうやら勉強した形跡はない。憲法を担当した教授は、「1回も授業に出席したことがなかったので、不可と評価したが、いつの間にか卒業していた」と述べている。すなわち必須科目の憲法の単位も取らずに・・卒業していったのである。他の強化も言わずもがな。
更に信ぜられないことに、「云々・・」を「でんでん」と読み、画一的を「がいちてき」と答弁した御仁だ。「美しい日本の日本語はどこへ行ってしまった!?」と嘆くしかない。
このようにアベノミクスは恣意的な、「政府にとって都合の良いデータ」を持ってきて、「成功している」と叫んでいる「虚構」に過ぎない。「砂上の楼閣」という言葉があるが、砂で崩れそうでも、楼閣自体は存在するから未だましだ。アベノミクスは「砂の楼閣」でさえ存在しない代物ものだ。
アベノミクスの失敗、流石にもうそろそろ認めたらどうか。
「パヨク」の発言では、「総理大臣ともあろう人をこき下ろすとは、何たる無礼」と仰るが、発想が全く逆だ! 総理大臣という日本に一つしかない「高度なプロフェッショナルな仕事」と規定するならば、法律学や経済学の基本的な概念や、知識を、当然持っていて当たり前だし、思考の基本である「美しい日本の言葉」である日本語も正しく読めて当たり前である。そんな初歩的なところで躓いていては、総理大臣の職を担う者としては不適格と言わざるを得ない。
記事 引用・参考元 日刊ゲンダイ
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