長岡京 ぶらり一人旅! 乗願寺は小さな部落のこじんまりしたお寺でしたが丈六=大仏様が印象的でした! (京都在勤中作成記事)
今日は長岡京を中心に行ってきました。JR長岡京の傍の学校のグランドでサッカーの試合をしていたので車をそこに止め、自転車で回ることに。長岡天満宮へ。それから戻って、神走<こうたり>神社→勝龍寺城へ。長岡に城があったなんて初めて知る。勝龍寺・村社春日神社→恵解山<いげのやま>古墳→鳥居前古墳→小倉神社→乗願寺→御谷神社→楊谷寺→長岡埋蔵文化研究センター→寂照院→海印寺古墳→足田神社→長法稲荷→長法寺→光明寺→一旦家に帰って、高槻城跡と回りました。晴れてはいたのですが、時々雪が舞う天候でした。
乗願寺は柳谷通りから大山崎に抜ける山道の途中から入る小さな部落の中にあるホンの小さなお寺です。「だいぶつ」と書いてあったので、是非みたいなと思い境内に入りました。お堂の左手に受付みたいなのがあり、その先は住職の住居のようになっていました。参拝をしたい旨申し出ようと声を掛けましたが、何の返答もありません。仕方が無いので、何とはなしに入口の障子をあけ、お堂に入りましたら、見事な大仏<丈六>様が鎮座して居られました。誰も居ない堂内で暫し対面しておりました。このお寺の周りに5・6軒あるような小さな部落でしたが、こんな立派な仏様が居られるとはびっくりしました。
恵解山古墳は標識があったので行ってみた古墳でしたが、単なる丘で、お墓が分譲されていて、余程注意しないと古墳とは解らないようになっていましたが、これまた標識があったので寄ってみた長岡埋蔵文化財研究センターの展示物の中に、恵解山古墳の埋蔵物の展示があり、何と鉄剣などが多数出土した大変な古墳であることが解りました。
海印寺寂照院というお寺は山門のみが残され、あとは鉄筋の建物になってしまったお寺でしたが、このお寺の本堂の裏には、なんと古墳があるのです。曰く「海印寺古墳」 先ほどのセンターの入り口に、この古墳の玄室を覆っていた蓋と底石が展示してありました。
長岡京は、延暦3年<784年>桓武天皇の命により、奈良の平城京から遷された都です。東西4.3Km、南北5.3Kmの規模であり、平城京・平安京に勝るとも劣らない広大なもので、現在の長岡京市、向日市、大山崎町、京都市の一部におよぶ広大なものでした。しかしながら延暦11年僅か10年で廃都となり、平安京へと都は移ってしまいました。藤原種継事件とかがあり、無実の罪を被せられた早良親王の祟りを恐れての遷都といわれていますが、都としての地理的条件や南四半分は桂川の氾濫原にあたる低湿原で欠陥都市であったことも否めません。
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