日本三大長谷観音がご本尊の、赤田長谷観音(秋田県由利本荘市)を訪れる!

神社仏閣名所旧跡めぐり
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日本三大長谷観音がご本尊の、赤田長谷観音(秋田県由利本荘市)を訪れる!

 

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盛岡に転勤となって、早や2年が立った。我が社は大体2年半から3年で転勤になる場合が多い。この2年間、北東北の3県については、本当によく回った。しかし南東北3県は行った事が余りなかったので、これからこの3県へ意識的に行ってみようと相成った。という訳で、この3連休は、出羽三山周辺に行ってみようと思い立った。

 

さてその初日、例によって何の準備もせず盛岡を出発。兎に角ひたすら車を走らせた。今回は、仙岩峠から、田沢に出て、大曲へ。前回は横手、湯澤・雄勝を通って、山形県に入ったので、今回は別のルートにしようと、108号線を走ることにする。(未だカーナビなど普及していなかった時代)漸く由利本荘市に到着(後で地図を見たら怖ろしく遠回りをしたことが解り唖然!)。ここで城跡などを散策し、「さて今日はどうしよう」と初めて検討。地図を見ていると、「赤田観音」というのが目に留まった。そんな動機で赤田観音=長谷寺(ちょうこくじ)を訪れたのであった。

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秋田三十三箇所観音霊場第8番札所。正法山長谷寺は、1775年(安永4年)、亀田藩の僧是山泰覚により創建された寺院である。秋田県由利本荘市赤田にある。安置されている高さ約9m、木製金箔押しの長谷十一面観音立像は通称赤田大仏と呼ばれ、奈良県桜井市の長谷寺(はせでら)、神奈川県鎌倉市の長谷寺(こちらもはせでら)と並び日本三大長谷観音の一つと言われている。1784年(天明4年)には、鎌倉長谷寺の本尊と同木から彫り出されたという小仏を胎内仏として十一面観音立像の製作が始まり、2年後に完成した。1888年(明治21年)に堂塔伽藍の総てが火事により焼失したが、4年後に観音像が再建、さらに9年後には本堂が再建された。

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京都在勤中に、桜井市の長谷寺は何回となく参拝していた。また鎌倉も2・3回参拝したことがあったので、ここで思わず「日本三大長谷寺」を訪れたことになる! さてそんなラッキーさに胸躍らせて境内に入る。境内には他に参拝客はおらず、ゆっくりと散策できた。本堂は9mもあるご本尊を収納(!?)させなくてはいけないので、細長い建物であったが、大きく、重厚な扉で覆われていた。

 

お寺の方もいる様子もなく、「さてどうしたものか!?」と思案していると、「ご自由に参拝してください」と張り紙がしてあった。扉を開けると、流石日本三大長谷観音といわれて「さもあらん」と思わせるに充分なご本尊で在られた。お堂はそんなに広くなかったので見上げてしまった。やあ!「立派な観音様だわあ!」

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一段高い庫裡の庭には、ご住職のお身内と思われる3兄弟(妹)が遊んでいた。そんな子供たちの歓声も消え入りそうな静かな境内だった。

 

しかし京の都から、こんなに離れた東北の地に、斯くも立派な観音様が居られるとは驚きだった。東北には、他に三大清水寺、三大文殊堂などの一角を占めているのだが、東北は何か窺い知れない力を秘めているのかも知れない。

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何時も予定などを立てない、行き当たりばったりの「ぶらり一人旅」だが、「三大長谷寺・長谷観音様」という様に、思わぬ展開になることが多い。あたかも観音様が引き寄せて下さっているかの様だ。

 

観音様を後にして、近在の名所旧跡を訪れた後、鳥海山を左手に見て、右に日本海を眺めながら7号線を南下し山形県に入った。暫くすると酒田市に到着。疲れもそろそろ出てきたので、辺りは未だ明るかったが、本日は酒田市で一泊することにした。

 

明日の予定は何も決まってなかったが、後回しにし、ホテルの傍にあった飲み屋で早々飲み始め、10時過ぎ切り上げたが、結構な飲みっぷりであった故、明日のコースの検討など放ったらかしで寝てしまった。明日試験という日でも、「ベストな体調で試験に臨もう」と何もせず、兎に角寝るような奴だったのである。一生治りそうもない!

 

記事・画像 original

盛岡在勤中の画像です。

参考元 wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%AF%BA_(%E7%94%B1%E5%88%A9%E6%9C%AC%E8%8D%98%E5%B8%82)?action=edit

 

 

 

 

 

 

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