【神社仏閣名所旧跡めぐり】関山中尊寺白山神社能楽殿で能を鑑賞!ガサツなおいらとしては格調高い(!?)珍しくも文化的1日を過ごした!

日本の伝統

【神社仏閣名所旧跡めぐり】関山中尊寺白山神社能楽殿で能を鑑賞!ガサツなおいらとしては格調高い(!?)珍しくも文化的1日を過ごした!

 

 

京都支店から、東北北統轄支店に転勤になり、引き続き、神社仏閣名所旧跡めぐりをしたが、当初は「源義経」のような心境で、東北には「見るべきものがあるのか」と思っていた。未だ状況も分かっていなかったから、取り敢えず「全国的に名が通っているところに行ってみよう」とおもった。そんな訳で、赴任後最初のころに訪れたのが、関山中尊寺だった。

 

平泉の町自体の規模は小さい。しかし中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、柳之御所遺跡、その他数多くの神社仏閣が点在する中に、生活空間が乗っかっているような町で、見どころ満載で全く飽きない。そんな訳で平泉は、赴任中何回も訪れた場所の1つになった。

白山神社は中尊寺鎮守のひとつで,境内の北方にある。かの有名な金色堂の裏手になる。赤い鳥居の手前には、大きな看板があるので解りやすい。この赤い鳥居を潜り、砂利の参道を進んでいくと、最初に目に入るのが、この能舞台(能楽殿)である。舞台の周りは、かなり広いスペースになっていて、今日は人が沢山集まっている。本日は奇しくも能が演じられる日の様だった。小生の神社仏閣名所旧跡めぐりは、予め目的地を決めてある訳ではなく、行き当たりバッタリであるのだが、こうして思い掛けないイベント(!?)に遭遇することが多い。

白山神社はまるで能舞台が中心のような感じで、能舞台の先に白山神社の拝殿があります。能舞台(白山神社能楽殿)は、重要文化財にも指定されていて、中尊寺の重要な施設の1つとなっています。

 

舞台の背景には、「鏡の松」と呼ばれる松が描かれています。現在能舞台は,嘉永2年(1849)の焼失後,同6年(1853)に再建されたもので、「鏡の松の絵」もそれなりの歴史に耐えてきたので、年季が入っており、ところどころ色が褪せているが、そのことが反って茅葺きの壮大な能楽殿や舞台を引き立てている。

白山神社の神事能は,中尊寺一山の僧侶が伝習して営々と受け継がれてきた。 舞台及び楽屋は東西に長い入母屋造,茅葺で,西半分を舞台,東半分を楽屋とする。この北面につく橋掛は両下造,鉄板葺の建物で,北東に延び,社殿側にある鏡の間に繋がる。鏡の間は,西面は入母屋造,東面は寄棟造の茅葺である。

白山神社能楽堂は,「正統的かつ本格的な規模と形式」をもつ舞台をはじめ,橋掛,鏡の間,楽屋からなり,能楽堂として一式を完備した構成の近世能舞台としては東日本で唯一のものであり,高い文化的価値を持っている。同時に日本を代表する能舞台の1つと言われていて、現在に至るまで、藤原まつりや中尊寺薪能などで営々として能が演じられています。

 

参照 文化遺産オンライン

白山神社能舞台 文化遺産オンライン
白山神社は中尊寺鎮守のひとつで,境内の北方にある。白山神社の神事能は,中尊寺一山の僧侶が伝習して行われた。現存する白山神社能舞台は,嘉永2年(1849)の焼失後,同6年(1853)に竣工したものである。 舞台及び楽屋は東西に長...

画像 小生オリジナル

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