みちのく通信 花巻鳥谷崎神社秋祭り 風流山車を曳くお稚児さんがかわいい!
(サラリーマン時代 東北北支店盛岡オフィス勤務時代に書いた記事です)
みちのくは、花巻の鳥谷崎神社秋祭りは、毎年雨に祟られることで有名。 本年は昨日7日から、明日9日までの3日間開催される。昨日盛岡では、夕方雨模様になり、さてはやはり雨かと思いきや、本日は上々の天気模様。然しながら10日会議のため、そのレジュメを作成しなければならず、休日出勤の羽目になる。トホホ!!!
天気予報では、この3日間、決して良い天気ではなく、本日は兎も角、明日はどうなるか解らない故、レジュメは、[明日もあるし]何とかなるだろうってんで、[やっぱし]お昼過ぎに、盛岡駅に向かってしまったのである。此れで、ガチガチのA型人間だというから恐れ入る。[学生時代勉強しなかったが、明日テストという日でも、先ず寝るという人だった]
盛岡に来て初めて乗る各駅停車だった。ゴトゴト約30分くらい揺られて電車は花巻に着いた。未だ1時40分くらいだったので、駅の構内には、お囃子のテープが流れていたが、さして賑やかな風でもなく、はてどうしたものかと迷うほどの静けさであった。しかしよく見ると、駅の前には、「鳥谷崎神社御祭禮」の大きなのぼりが二つ並んで立ててある。
まあ兎に角参拝だろうと思って行ってみたが、それらしき神社が見当たらない。駅の近くにあった、小さなお宮を見つけたのでそこに参拝した。駅に戻ってみると、山車が角を曲がって入ってきた。もう行き成りの山車にご対面と相成った。 写真では見たことがあったが意外と小振りな印象を受けた。<写真を見ての勝手な想像よりは小さいという意>それでも飾りつけは、ボリュームもあり、見栄えのある山車であった。
花巻の山車の特徴は、前のほうに、太鼓を横に6つ位並べたものを、6.7列並べ、そこの間に、お稚児さんが入り、太鼓を叩きながら行進するのである。また山車の後ろに[大]太鼓が5つほど並べてあり、此れが又、大きな音で、リズムを刻んでいくのである。青森のねぶたもやはり後ろに大太鼓がつくのであるが、太鼓は太鼓で、独立しているが、花巻の山車では、本体にくっついている。
又お稚児さんの後ろには、笛がつくのであるが、そのあとに、三味線が続くのである。 何れも中学生から高校生といった若い人がやっている。此れでもいくつかの[みちのくの]お祭りを見てきたが、三味線が入るのはここ花巻が初めてであった。お囃子も一味違って聞こえた。この花巻囃子は、京の都の「祇園囃子」の流れを汲んでいるといわれ、先ほど述べたように、大太鼓・[お稚児さんが叩く]小太鼓の調子を相互に引き立たせ、、それに笛に三味線を調和させ、且つ祇園調を漂わせ、深い情感と、優雅な気品を備えたものである。
山車は「北松斎公、和賀氏の花巻城夜戦に反撃の躰」とか、「川中島の戦い之躰」とかをテーマにした飾り付けをデリシャスに施してあります。また「見返し」といって、山車の後ろも、サブテーマを掲げ、前に比べれば地味目にはなっていますが、飾り付けがしてあります。丁度京都の祇園祭の山鋒の見返し<?>と同じようになっています。但し花巻の方は立体的です。後ろから見ても充分鑑賞できます。
この山車は全部で14台あります。各町内から、繰り出されるのです。祭りの一番の呼び物になっているのですが、町の人たちにとって、誇りとなっている様子がよく解りました。その始まりは、花巻開町の祖→「北松斎公」の時代に遡るといわれています。最初は、唐竹で大きな鯨を作り、紙を張って鍋墨を塗り、此れを台車の上に載せ曳き歩いたのが起源とされているようです。そのうち京都の「やかた」に似た物を曳きはじめ、爾来3百数十年続けてきましたが、明治時代において、その豪華さは頂点に達したといわれています。当時の「屋形」は高さが15mにも達し見事なものだったそうですが、大正時代に入り、電線が張られるようになって、今の風流山車と言われるものに代わったそうです。
この風流山車の組み方は、「活<生>花」を基本としており、岩山の上部に、桜の花などを芯として、人形と四季の花を飾付け、その下には、「重ね波」という、波を付けるという順に祭師によって、飾り付けられ仕上げられるものです。祭師は活花の心得を持っており、その飾り付けの、見事さは、東北はおろか、全国に轟いているのであります。
例によって、写真を撮り続けましたが、<小さな子供が一生懸命太鼓を叩いている様子など見るにつけ>涙が込み上げて来そうになるのを堪えることが出来ませんでした。
未だ時間が早く、此れは未だリハーサルと言うか、町内に対するお披露目というもののようでした。駅の直ぐ傍に、「なはん会館」というものがあり、故郷芸能祭りというものをやっているようなので行ってみました。一週間前の、盛岡郷土芸能フェステイバルのようなものでしたが、こっちは入場無料。まあお祭りの一つのイベントとして位置付けられているのでしょう。
ここで一番良かったと思ったのは、鹿踊り<ししおどり>でした。この踊りの起源は、奈良の春日大社の神事に由来されているといわれ、村の平安を祈願し、悪霊を払い除ける行事[神事]の舞踊化されたものといわれています。素朴さの中に、風格を兼ね備えた民族舞踊として、岩手県の無形文化財に指定されているものです。この鹿踊りも、大別して、太鼓踊り系と、幕踊り系とに分けられ、ここ花巻は、前者に属する系統です。県の南にこの系統が多いとのことです。本日は、この芸能祭りのほか、祭りの行列にも入り、また鹿踊りパレード[お祭り広場での演舞]などもあり大活躍でした。
なんでも地元花巻は勿論、県南から、計26団体が参加しているのだそうです。迫力がありました。
その他に、神楽・奴踊り・田植え踊り・剣舞・さんさ踊り・太鼓・大黒踊りなどがあり盛況でした。さんさ踊りは、盛岡のさんさとは、大分趣が違い、ゆったりとした、盆踊風な感じで、今まで見たさんさとは、大分趣を異にしていました。盛岡はそれぞれが太鼓を付けて、叩きながら、踊るのですが、[この流派だけかも知れませんが]普通のお囃子みたいに、太鼓を地に置いて叩いていました。踊り手には太鼓が付いていませんでした。
また太鼓ですが、「大沢金勢太鼓」といものが演じられたのですが、此れは又全国的にもユニークなものだそうで,何と撥が男のシンボルを形取っているのであります。何か大沢では、こんせい様の神事で,霊験<?>新たかなものがあるとかで、此れに参加すると,子宝に恵まれるそうな!!!但しその日の内に,ガンバラなアカンそうや。まあそれはそれでいいとして,この金勢太鼓の撥は「辛ろうもの」がおまっせ!!!何か痛々<?!>しい!! 「気のせいか!!!」
そのうち外が賑やかになってきまして,鳥谷崎神社ご神体というべきお神輿の行列がやって来ました。此れには、山車は一切参加してなくて,神様が里に降りてきたことを象徴しているものではないかと思います。 市内を練り歩くものです。このお神輿に向かって手を合わせる人や,パレードに麦茶を自発的に接待する人や、会社の仕事を一段落付けて,全員で並んでお迎えしたり,初穂料をお供えする人あまた数知れずで、鳥谷崎神社の神様の信仰厚いことがよく解ります。
その行列に暫く併走して写真などを撮っていたのですが、一段落したので,適当に歩いていたら,大きな通りに出ました。そこでは鹿踊りの競演でした。まあ何頭<?>出ているのか,通りを見渡せは鹿・鹿のオンパレードです。流石鹿踊りの本場だけはありますね。
そのあとは、お神輿のパレード。これも市民上げての参加型のお祭りにしようという意を受けてその数の多いこと多いこと。120数団体の参加だそうです。余り多いので,3つに分けて,お祭りの3日間にそれぞれ分散させるようです。
さて日も落ちて,辺りが暗くなる頃,漸く風流山車のパレードは始まりました。やはり昼間見るのとかなり感じが違います。しかしねぶたなどと違い、中に火を入れるというようなものでもないようだったので,夜はどうするのかなと思っておりましたら,何と要所要所にパイプを出しまして,そこから火を噴出させて,明かりを取っているのです。昼間見た時に,山車の後ろに,プロパンのボンベを2本積んでいた理由が解りました。成る程ね。
何れにせよ,夜は我がデジカメは、旧に元気がなくなり,回復力も落ちるし,ピントは外れやすくなるし大変なのであります。→金勢太鼓の撥の後遺症???!!!
風流山車はどういう訳か,14台1台づつではなく,上り下りで同時に入ってくるので,写真を撮る方は、輪を掛けて難しい。まあ幻想的なお祭りでありました。
今日はお祭りの中日。オープニングでも無し,エンデングでも無し,一番盛り上がりに欠けるかなあと思ったりもしたが、まあ人出はそこそこ、余裕はあったしゆっくりも見れて良かったとおもう。それにしても東北の祭りは迫力がある。参加意識がもの凄くあるとおもう。やる気でやって居る。見ていて気持ちがいい。
7時にお神輿が神社に帰るパレードがあり,一息付いたので,此れで帰ることにする。まあそこら中廻って少々疲れたが,気持ちの方は大満足であったので元気で帰ることが出来た。家に帰ってもあのお囃子が、迫力ある太鼓の音が耳に付いて今でも聞こえてくるようです。あの三味線が入った独特のお囃子は暫く耳に付いて離れないだろう。
◇ 東北に赴任して、早くも5ヶ月目に入りました。 仕事の方はやっとのことで,軌道に乗
ってきました。
こっちに来て,早くもいろんなところに行きました。 盛岡さんさ踊り・青森ねぶた・
十和田湖町の「国境祭り」・大曲の花火大会・そして今日の花巻の秋祭り・そして来週
は、盛岡の秋祭り・そして遠野のお祭りも始まります。 みちのくはお祭りの真っ最中
ですね。
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