「文春」松井社長に安倍批判の真意を聞いてみた
昨年12月の某日、文芸春秋の松井清人社長が安倍晋三政権批判をしたとして、マスコミ業界で話題になった。評論家・保阪正康氏の喜寿と最新刊「ナショナリズムの昭和」(幻戯書房)の出版を祝うパーティーの席上だ。
近年における文春の論調に鑑みれば、重大なニュースである。そこで松井氏本人に会ってきた。
――発言内容を確認させてください。
「会の案内状に、〈左翼的偏見や右翼的独善からの解放〉とあったんです。誰にも束縛されず、自由に昭和史やナショナリズムを書いてきた保阪さんの本質を、これほど言い当てている言葉もない。そう話して私は、『しかし、その保阪さんでも最近はやりにくいのではないか。“右翼的独善”の象徴みたいな政権に対して、正面からモノを言いにくい、(メディアが)異を唱えようとしない状況はおかしい』と言いました」
――間違いないですか。
「今お話しした通りです。クローズドの席の短いスピーチでも、私はあらかじめ原稿を書いて、慎重に言葉を選びますから」
出席者たちの話を総合すると、その後も松井発言を受けたような挨拶が目立った。文芸春秋の元専務で、やはり昭和史の研究家である半藤一利氏は、「私も以前はハンドウ(反動)だと批判されたが、最近は“極左”呼ばわり。世の中、どうなっちゃったの?」と、会場の笑いを誘ったという。
松井氏が続ける。
「要は座標軸の問題です。お2人は以前と少しも変わらず、まっとうな保守の姿勢を貫かれ続けている。世間の座標軸のズレ方が大きくなり過ぎました」
――必ずしも安倍政権のせいばかりでもないですね。私は10年前にも、半藤さんから同じ嘆きを聞かされましたから。
「文芸春秋もまっとうな保守でありたい。かつて司馬遼太郎さんは、文芸春秋を“風呂敷雑誌”と呼んでくれた。森羅万象の何でも包み込んで、自在に形を変える」
――それでこそ文春なんです。座標軸がズレ過ぎ、論争が感情的な人格攻撃になってしまいやすい時代ではあるけれど。
「風呂敷なんだから、(そこからはみ出ない限り)何だってアリなんだよ。頂門の一針。みんながワーッとこっちに流れてる時、ちょっと待ってくれよ、と。だから文春は影響力があった。それを取り戻してほしいよね」
編集権の独立した出版社ゆえ、だから直ちに誌面に反映されるというわけではない。だが、破壊され尽くした感のある日本の言論状況にも、再び曙光が見えてきたとは言える。
斎藤貴男ジャーナリスト
1958年生まれ早大商卒業、英国・バーミンガム大学大学院修了(国際学MA)。『日本工業新聞』入社後、『プレジデント』編集部、『週刊文春』の記者を経て独立。弱者の視点に立ち、権力者の横暴を徹底的に批判する著作を出し続けている。消費税の逆進性を指摘する著作も多数。「機械不平等」「安心のファシズム」「戦争のできる国へ 安倍政権の正体」「ちゃんとわかる消費税」など。
記事・画像 引用・参考元 日刊ゲンダイ
nikkan-gendai http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/197692
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