川口豊城稲荷神社(岩手県岩手町)秋の例大祭見物記!まつりきちがいの小生は1日密着取材(!?)敢行する!
東北は1年を通じて祭りが多いところである。特に8月の夏まつりは、1日の盛岡の「さんさ踊り」を皮切りに、東北の何処かで祭りは行われている。八戸の「三社まつり」青森市の「ねぶたまつり」秋田の「竿灯」などなど。ねぶたは、何も青森市だけの専売特許ではなく、青森県内では、実に二十数か所で、ねぶたという祭は行われている。中でも、五所川原市の立佞武多は、縦に長い佞武多で異彩を放っている。初めてこの立佞武多を見た時は、小生はぶったまげたなんてもんじゃない。驚嘆した。他のねぶたは横に長い形式だが、この佞武多は、縦に長いのである。駅は平屋であるが、その先に5.6階建てのビルと見紛う建物があり、そこに立佞武多2基が収納されているのである。立佞武多が通る道路は電柱がない。
さて今回は、岩手県岩手町の、川口豊城稲荷神社の祭りについて書きます。
東北の祭りは、長い冬を耐え抜いて、待ちに待った祭りでエネルギーが爆発する! 自分たちの祭りという意識が高く、例え雨が降ったって止めることはない! 秋田の「大曲の花火大会は、全国屈指の花火大会(正確には花火師競技大会である)であるが、私は東北赴任中に3回見物に行きましたが、そのうちの1回は、とても花火大会が出来そうもない雨降りでしたが、中止とせず決行されました。見物客も、例年と変わりなく、会場の河原は例年と変わりありませんでした。帰りに新幹線に乗って帰ろうとして、尻のpocketから財布を出して、札を出したところ、札がびっしょり濡れていました! それ程の雨でしたが、最後まで中止しませんでした。
またまた脱線しましたが、川口豊城稲荷神社の祭りも例外ではありません。
東北の地方紙は、祭りの最盛期には、新聞なのか、祭りのパンフなのか分からん新聞を出します。極端に言えば、前頁・全面 まつりの案内=パンフみたいな新聞もあります。そんな新聞を見ていて、川口豊城稲荷神社の祭りを知りました。岩手町はこの時初めて行くことになったのですが、盛岡からそんなに遠くないし、単身赴任の時間潰し(!?)くらいな軽い気持ちで行ったのであります。
朝早く盛岡を出発し、8時半ころ、岩手町に着いたのですが、駅前では祭りの準備が進んでいて、退屈することはありませんでした。
初日は、三台の山車を始め、子供達のお囃子や太鼓の音が町内に響き渡り、岩手町民の元気な掛け声とともに「大名行列」・「狐踊り」・「郷土芸能(神楽)」と約1キロにも及ぶ長いパレードが川口地区の商店街を練り歩きます。小生が特に興味を持ったのは、「大名行列」が先頭を練り歩くのです。他にこういう例はないと思います。また稲荷神社故と思われるのですが、「狐踊り」というものもありました。「狐踊り」は、パレードが始まる迄は、町内の各戸を巡回し、踊って回るのです。また東北のお祭りでは、「郷土芸能(神楽)」=各神社で奉納される神楽なども参加するのですが、町内の老人ホームにも訪れ、神楽を披露して回るのです。
その様に、祭りの様子を撮影し、2時ころから、パレードの隊列を組み、町内を回るのですが、それまで小生は駆け回って祭りの様子を撮影しました。
川口豊城稲荷神社例大祭の神輿渡御、還御の際その先頭を努めるのが秋浦大名行列(ドッコイ)です。このお祭りは、江戸時代の風物を再現した伝統あるお祭りで、約290年前京都府の伏見稲荷神社から神爾を拝受した際に殿様が行列をつくってお迎えしたことから始まったとされています。以来この祭りのパレードの先頭を歩み、先導役を努めています。
掛け声に合わせて、やっこ姿の足軽スタイルや、踊り子と太鼓打ちは、赤装束、赤頭巾をかぶり、白狐の仮面を額に付けて舞います。
この狐踊りは稲荷神楽とも言われ、川口豊城稲荷神社が現在の位置に還座したとき、狐踊りも御伴して祝ったと伝えられています。
行列の最後は、川口豊城稲荷神社迄続くのですが、境内で、キツネ踊りや、神楽の奉納が、行われます。境内は町内の人たちで一杯でした。小生は6時半くらいまでいたのですが、マダマダ終わる気配はありませんでした。
8時半から6時半までよくぞ撮影し続けたと思ったね。我ながら!
記事・画像 引用・参考元 岩手町商工会HP
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