雨の中態々車を停めて参拝した唐松神社(秋田県協和町)後程分かった大変なこと!?
以前田沢湖から、阿仁軽油、能代に着。そこから五能線沿いに、59号線を北上。不老不死温泉まで行き、ここで引き返し、能代一泊、翌日伊勢堂岱遺跡、銀杏山神社、能代引き換えし、号を南下、八郎潟、入道崎。男鹿駅前ホテル泊。翌日赤神神社五社堂に引き返し、早朝6時ごろ五社堂の階段上り切った。それ等青森・秋田のぶらり一人旅の話は以前UPしました。今回はその続きでござる!
その日は、2003年10月13日。晴れ男の小生にしては、珍しく、雨降り。赤神神社五社堂の階段を下るころは、未だ傘を差さなくても歩ける程だったが、再び男鹿駅の前を通る頃は本格的に降り出した。いくら神社仏閣名所旧跡巡りを趣味とする小生だが、雨の中では、少々その気は失せる。
「しょうがねえなア!!」と思いながら、未だ9時頃だったが「あとは盛岡に帰るしかねえなア!」と頭を過る。秋田市街を抜け、13号線(奥州街道)を、仙北市に向かい走っていると、「唐松神社」という案内板が目に入ったので、車を降りることにした。(だから小生の辞書には<探す>という文字はない。着いたところが目的地だ。いつもそうなのだが、小生の「ぶらり一人旅」は、予定を立てる訳でもなく、「曰くいわれ」も調べるでもなく、常に行き当たりばったり、風の吹く儘・気の向く儘、の「西東」。まあ言うならば、「男はつらいよの寅さん」の旅である。事実この2泊3日の秋田・青森のコースも、行く先もホテルも予約したところなし。偶々車を走らせて、目に入ったホテルに飛び込みだ!もし取れなければ車中泊覚悟。この唐松神社も、偶々案内板が目に入ったから寄ってみただけのお粗末。
御祭神は饒速日尊。物部氏の遠祖。参道より数段下ったところに社殿がある一寸変わった独特の配置。代々の宮司が一子相伝で継承してきた文献が『物部文書』。蘇我氏との対立で敗れた物部守屋の子・那加世(なかよ)が、秋田に落ちてくる際に持参した古代史料の写しとされる。昭和58年(1983)に一部公開、大部分は依然として未公開。同書によると物部氏の発祥地は東北。饒速日尊は鳥海山に降臨。10種の神宝を奉じた場所が唐松神社である。 ※ 日本列島パワーポイントの北限<白山と富士山を結ぶ線の真ん中を長野市の皆神神社を経由し、さらに北に延ばすと、この唐松神社に行き付く!)また逆方向の西南の方に線を引っ張ると、なんと伊勢神宮に行き当たるのです! という訳で、この唐松神社には、窺い知れない何かを内包しているのである!
以下、『物部文献』により伝わる話。
ニギハヤヒが鳥見山(鳥海山)に降臨。逆合川の日殿山に「日の宮」を造営(唐松神社の起源)。御倉棚の地に一時居住(大仙市協和船岡字合貝の三倉神社がその跡)。
神功皇后の三韓征伐の際、物部膽咋連(いくいのむらじ)がこれを助けた。後に神功皇后は日の宮を詣で、韓国を服(まつ)ろわせたことを記念して月の宮を造営。以来、その社を韓服(からまつ)宮という。
物部守屋の戦死後、その子の那加世(なかよ)が蝦夷の地に逃れてきて、日の宮の神官になった。唐松神社宮司家はその子孫。
- ※引用参考元 物部文献
ニギハヤヒが天降りの際に持ってきた十種(とくさ)の神宝(かんだから)のうちの5つ(奥津鏡、辺津鏡、十握剣、生玉、足玉)が残されているという。
参考文献:『日本のまつろわぬ神々』 新人物往来社編 新人物往来社
饒速日尊(にぎはやひのみこと)が鳥見山に降臨、唐松山を御神体とする神社を創建。
心の中の灯火が蘇り安堵感に包まれる。
子宝、安産。
※参考文献:『開運!日本のパワースポット案内』一個人編集部編 KKベストセラーズ
※参考文献:『日本の謎と不思議大全 東日本編』 人文社
秋田県のほぼ中央部、大きく蛇行する淀川のほとりに鎮座する唐松山天日宮 (あまつひのみや)。日本全国に8万社とも10万社ともいわれる神社のなかで、これほど異彩を放つ神社はめずらしいだろう。神社建築の枠をはるかに超えた、SF的ともいえるその神域は、なんとも不思議な気に満ちあふれている。瞠目するのは、池と築山を同心円状に配した特異なデザインと、境内一面に敷き詰められた数十万個ともいわれる自然石から生まれる造形美である。シンメトリーで構成された冷たい幾何学的秩序を、自然石のぬくもりで覆いかくし、人工的な自然ともいえる有機的な建築的秩序を形づくっている。
☝天日宮を上空から見る
上記7行は、
からお借り致しました。画像2点も亦同じ。
しかしそんないい加減に寄った「唐松神社」は、後で調べ物をしていたら、とんでもない神社だと解ってびっくり仰天する羽目に。私の家(長野県須坂市=停年退職後郷里である須坂で過ごすことが多くなった)から、距離で、15㎞程、時間にして30分くらいのところに、皆神山という「世界最大・最古のピラミッド」と言われる山がある。少し撓んでしまったが、円錐台状の山だ。山体の中に空洞があるといわれ、小生が高校の頃、「松代群発地震」の震源地と言われた山でもある。その山頂に「皆神神社」がある。富士山頂きの浅間神社と白山の白山神社を結ぶ線の丁度中間点と伊勢神宮から北上させた線を結び、それを更に北上させると、皆神神社に至る。その線を更に、北上させると、何とこの唐松神社に至るのである。また、浅間神社、白山神社をそれぞれ唐松神社と結ぶと、綺麗な2等辺三角形になる。(勿論皆神神社と結んでも2等辺三角形になる)この様な話(!?)は、明日香や、畿内を中心にいろいろと存在するのだが、これ丈いろいろ例があると単なる偶然とも言い切れない。まあそれらについては、日を改めようと思うが、雨の中、酔狂で参拝した唐松神社が、そんな「意味を持つ神社」だとは思わなかった。あの時寄ったのは単なる偶然ではなかったのではないかと思ったのも又事実である。そんなことを言い出せば、キリがなく、京都で、2年半、盛岡で、2年半赴任したのも、意味があるものとなる。そんなこと言い出せば、「そんじゃお前は、(神社仏閣名所旧跡巡りばかりして)ちゃんと仕事したんかい!」と言われそうだが、その点はご心配なく。我が社(今は停年退職した身だが)は、販売目標必達の会社で、売り上げ締め日では、徹夜も辞さなかった会社であった為、好むと好まざるとに関わらずやらされた(という言い草は適当ではないが) その反動もあって(!?)、土・日、祝祭日は、(単身赴任でもあったので)、神社仏閣名所旧跡巡りに没頭したのかも知れない。
☝ 皆神山
☝皆神神社
いまフェイスブックでもUPしてのですが、その中に、「鉄の製造」というモメントから、県内の神社をシリーズで投稿されている「宮島 武義」という方がいらっしゃるのですが、私の場合は、いろんなところに顔を出したのですが、そういうキチンとした視点がないことが、かえすがえすも残念なことである。まあ!それも予め調べるでもなし、計画を立てて参拝先を設定するでもない風任せが一因であると思う。そんな訳で、この唐松神社でも、傍に、唐松山本宮、万松神社,三倉神社、船玉神社などがあったのだが、後の祭りである。今になっては、長野からでは遠すぎる! 物事はいつやるべきでしょうか!? 「今でしょう!」
雨は一向に止まず、この後角館に出て、「雨の武家屋敷」を見たが、雨は増々降り注いだ! 仙北峠を越え、岩手県に入り、盛岡を目指した。
画像元オリジナル
画像元(補足画像)yjimage
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