【神社仏閣巡り】 金剛山鑁阿寺(ばんなじ) 足利の大日様で名が通っている古刹!【真言宗大日派の本山】

歴史探訪

【神社仏閣巡り】 金剛山鑁阿寺(ばんなじ) 足利の大日様で名が通っている古刹!【真言宗大日派の本山】

 

なにやらこの難しい寺の名前は、鑁阿寺(ばんなじ)と読む。地元では、この難しい呼び名は、あまり使われる事は無さそうで、「足利の大日様」の呼び方で通っているそうだ。

私は現住所が千葉県の習志野で、信州の方は、仕事の都合で、使っているのであるが、小生の実家である。両親は10年ほど前亡くなっていて、長男である私が、管理方々住むようにしているのである。

夏場は、距離や時間の関係で、高速長野道を使わず、峰の原・菅平両高原を経由し、明神沢を抜け、四阿高原を通り、鳥居峠越をし、群馬県嬬恋村から、国道17号に至り、そこから高速に入り、川越に抜けるコースをよく走った。そんな関係で、桐生市辺りはよく通ったのだが、そこら辺を走っていると、よく足利学校の案内板を見かけたので、距離は大分あり、寄り道になってしまうのだが、1度は行ってみようと思っていた。

足利学校は、日本最古の学校という事だが、念願敵って,見学することが出来た。足利学校は稿を改めます。さて足利学校の見学を終えて、他に何か見所がないかなあと思っていたら、極近くに古いお寺があったので行ってみた。

金剛山鑁阿寺という寺院だったが、先ず思った事!「なんと読むんじゃ!?」 長年生きてきたが、初めて見た字であるぞ! 皆さんお判りになりますか!? 「ばんなじ」と読むそうな!

 

源姓足利氏二代目の足利義兼(あしかがよしかね)が、建久7年(1196年)に、邸内に持仏堂(じぶつどう)を建て、守り本尊として大日如来を祀ったのが始まりといわれています。その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。

密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重な文化財。ご本尊様は胎蔵内大日如来。申年、未年の守り本尊である。後方壇に弘法、興教の二大師、開基鑁阿上人(足利義兼)像をはじめ、明治維新まで、堀の外に祀ってあった塔頭十二支院の御本尊を安置している。

周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。 境内には国宝指定の本堂など貴重な建物が多く、また大正11年には国の史跡に指定された。 春は桜、秋は公孫樹の黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています。

平日であったが、参拝客も結構多く、足利の「大日様」として、親しみと、信仰を集めているのだと思った。何せ建久年代からの長い歴史を持ち、風格があり、重厚な雰囲気が漂う

寺院であった。足利は初めて来たが、態々距離を掛けてやって来ただけの事はあったと思った充分満足することが出来た。

所在地

足利市家富町2220、Tel.0284-41-2627(鑁阿寺)

 

記事参照 栃木県足利市「素通し禁止 足利」

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記事参照 大日尊鑁阿寺

建築物案内 - 国宝 鑁阿寺

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