115年前の八甲田雪中行軍事件 弘前隊生還の真実探る! 間山元喜さん資料調査に執念燃やす!
1902(明治35)年1月、青森歩兵第5連隊210人のうち199人が犠牲となった「八甲田雪中行軍遭難事件」から20日で115年。当時、青森隊と別ルートで行軍し、39人(2人が途中離脱)全員が生還した弘前歩兵第31連隊の資料調査に取り組んでいるのが、弘前隊の宿営係を務めた間山仁助伍長の孫・間山元喜さん(67)=弘前市。
隊を率いた福島泰蔵大尉の手記や従軍士官の報告書を入手した間山さんは「弘前隊の行軍も過酷な旅程だった。よく知られていない弘前隊の真実を伝えていきたい」と話している。
間山さんは2013年、福島大尉の孫の倉永幸泰さん(90)=長崎県諫早市在住=から、福島大尉が残した行軍に関する資料のコピーを譲り受けた。資料は福島家で「門外不出」とされていたが、事件から100年余が経過し後世に語り継ぐ必要があると、倉永さんらが福岡県久留米市の陸自幹部候補生学校などの関係先に寄贈。孫同士の縁で親交があった間山さんにも届いた。
資料は、福島大尉直筆の「歩兵第三十一聯隊雪中行軍手記」、「明治三十五年一月二十日~同月三十一日 雪中ニ於ケル山嶽通過實施報告」など約250点、3千枚に及ぶ。調査はまだ途中だが、間山さんは「日々の旅程を記録した従軍士官の報告書や医官の給養状況などもある。大尉の手記を照らし合わせて読むと過酷だった行軍状況がより鮮明になり、隊員たちがどんな気持ちで行軍していたか実感できる」と語る。
今月3~13日には、弘前市で初めて弘前隊資料展を開いた。「雪中行軍といえば、1977年公開の映画『八甲田山』の印象が強いが、決して人災でなく天災だったことが資料から分かる。今年は行軍から115年、映画公開から40年の節目。弘前隊の真実を地元で語り継ぎたい」と間山さん。要請があれば講演会や展示会を開きたいという。
記事・画像 引用・参考元 Yahoo News <東奥日報 >
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