<全盲落語家>笑いで弔いたい! 再三のホームからの事故契機に決意!

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<全盲落語家>笑いで弔いたい! 再三のホームからの事故契機に決意!

 

 

昨年12月半ば、愛知県岡崎市の障害者施設。全盲の落語家として知られる桂福点さん(48)=大阪市東淀川区=は、食卓に赤い布を敷いただけの即席の高座に上がった。口演するのは、自身の創作落語「メールの話」。男性が視覚障害を隠し、メールで女性と友達になろうとする話だ。

男性のメールは誤字脱字が多い。「メールで話すの楽しいな。それじゃあ、股(また)あ下(した)(またあした)」などと送ってしまい、女性の怒りを買う。文面が会場に映し出されるたびに観衆約30人が噴き出す。男性は視覚障害を明かし、女性は聴覚障害を告白。2人の関係は一気に近くなる。

 

人生半ばで聴力を失った中途失聴者でつくる団体に頼まれ、創作した。中途失聴者は手話も読唇も苦手な人が多く、「笑うことがなくなる」との苦悩を聞かされた。それならばと、視覚障害者の悩みである誤字脱字を逆手にとった。「障害のない人でも親しくなれば、私のメールの間違いを笑ってくれるようになる」と福点さん。笑いの質は人との距離が関係する。

福点さんは生後すぐに右目を失明した。地元の小学校で、左右の目の大きさが違うことをからかわれ、傘で目を突かれそうになったこともある。小学3年で大阪市内の盲学校に転校。もともと「寿限無(じゅげむ)」に登場する長い名前を覚えるほど落語好きだったが、そのまねごとで「友達を笑わせることに喜びを覚えた」。初めて同級生たちに受け入れられたように感じた。

 

高校時代は左目の視力も失う恐怖から心は荒れた。点字を強要する教師に殺意を覚え、自らも死のうと思ったこともある。教師に怒られる回数を減らすため、わざと滑稽(こっけい)な失敗をしたり、怒られた場面を再現したり。「すべて自分を守るためだった」

大阪芸術大に進み、音楽療法や声楽を学んでいた1995年、阪神大震災が起きた。ストレスで倒れ、通院した。病院で被災者を励まそうと、コミカルな演出も交えた音楽会を開くと、高齢の女性から涙ながらに「笑ったのは久しぶり」と握手を求められた。自身も元気が出て、音楽と笑いの力を実感した。進むべき道を示された気がした。

 

翌年、27歳の時、上方落語の桂福団治さんに弟子入りした。「何かを伝えるため、人を繋ぐために笑いはある」と信じ、芸の道をまい進してきた。

 

それから約20年。盲学校の後輩であり、自分の落語のファンだという全盲の男性が駅ホームから転落し死亡する事故が起きた。「落語で弔いたい」。衝撃とともに、自然に湧いた思いだった。

 

 

視覚障害者が駅ホームから転落する事故が相次ぐ中、事故防止を訴える福点さんの落語が完成間近だ。創作の過程を追いながら、障害者や高齢者を含む多くの人々が使う駅の安心安全を考えたい。

【略歴】桂福点(かつら・ふくてん) 本名・桝川明。1968年、兵庫県川西市生まれ。緑内障で高校生の時に失明した。桂福団治さんに弟子入り後は漫談家として活動を始め、2009年落語家デビュー。NHK・Eテレの障害者情報バラエティー「バリバラ」に出演している。

 

 

 

記事・画像 引用・参考元 Yahoo News <毎日新聞>

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170219-00000082-mai-soci

 

 

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