【東日本大震災,から6年】津波を直前で止めた神社!神は存在するか!? 神社の謎と、1000年前のスピリチュアルメッセージ

危機管理

 【東日本大震災,から6年】津波を直前で止めた神社!神は存在するか!? 神社の謎と、1000年前のスピリチュアルメッセージ

 

東日本大震災から6年が経った。未だに被災地は完全復興していないが、我々は日常に忙殺され、悲惨な出来事を遠い過去のように感じてしまっている。そう、人間は忘却の生き物なのだ……。

■津波被害を免れた神社■

 

2011年3月11日、三陸沖を震源とするM9、最大震度7の巨大地震が起こった。それに伴い発生した津波の高さは、局所的に観測史上最大の40.4メートルを記録。「1000年に1度」の巨大津波により、太平洋沿岸は壊滅的な被害を受けた。だが、ほとんどの神社が津波から助かったのだという。

 

この不思議な現象の理由ついては、『神社は警告する─古代から伝わる津波のメッセージ』高世 仁 , 吉田 和史 , 熊谷 航 (著)(講談社)に記されている。

 

著者の1人である熊谷航氏は、海洋調査の仕事をしている。そして震災後、津波浸水域の被災状況を調査していくうちに、「神社が浸水線のギリギリで助かっている」という事実に気付くのだった。

 

この不思議な現象の謎を解くべく、熊谷 航氏、プロデューサー高世 仁氏、ディレクター吉田 和史氏の3人で取材チームが結成された。この取材の成果は、TBS『報道特集』(2011/8/20 放送)で放映され、大反響を呼んだ。

■神の力■

 

なぜ、神社は助かったのだろう? やはり神の力なのだろうか? 敷地内まで津波が入ったものの、社殿は無傷の神社。多く存在した。津波被害にあった集落と、無事だった集落の境目に建つ神社などなど……。助かった神社は必ずしも高台にあったわけではない。沿岸沿いであっても、来歴が分からないほど古い神社は津波の被害を受けていなかったそうだ。しかし、比較的新しい年代に建てられた神社は被害を受けていたともいう。

 

先の『神社は警告する』にも記されているが、これには貞観津波が神社の立地に関係しているという。

 

東日本大震災の津波は、869年に起きた「貞観地震・津波の再来」と言われている。先祖は、貞観津波で被災した経験を元に、「ここなら津波に襲われない」という安全な場所に神社を移動したのではないかということだ。そう考えると、津波が来るギリギリのラインを沿うように神社が建っている理由も分かる。また、神社だけでなく、古い寺の多くも津波被害を免れているという。 神社や寺は、共同体にとって大切な施設であるからこそ、先祖は被災しない場所に建てようとしたのだというのだ。 古くからある神社は、実は震災の記憶と警告メッセージを伝えていたのである。

■地名に残る津波被害■

 

寺社仏閣だけでなく地名からもメッセージを受け取ることができる。三陸地方には、過去に起きた地震や津波の警告を今に伝える地名が残っているという。

 

・念仏田 ねんぶつだ(宮城県仙台市)

大津波で浸水したが、地元住民が念仏を唱えたところ、海水が引いて助かったという。

・みちびき地蔵と供養碑(宮城県気仙沼市)

あの世に導くお地蔵様の伝承が伝わっている。

 

アニメ番組「まんが日本昔ばなし」のなかに気仙沼の津波の恐怖を伝える「みちびき地蔵」という話があり、震災後、反響を呼んだ。

 

・念仏橋 ねんぶつばし(宮城県多賀城市)

津波のたびに橋が落下していたが、老婆が念仏を唱えることで橋を架けることに成功した。

 

・残谷 のこりや(宮城県南三陸町)

大津波でほとんどの家が流されたが1軒だけ家が残った。

 

・大船沢 おおふなさわ(宮城県南三陸町)

海岸からかなり奥の場所だが、津波でここまで大船が流れて来た。

 

・浪分神社 なみわけじんじゃ (宮城県仙台市)

大津波が、この地点で二手に分かれて引いていったことが由来。ちなみに、今回の東日本大震災でも助かった。

 

このように、過去の災害に危険性を警告した地名がいくつもあるのだ。こういった例は何も三陸地方だけでなく、日本各地に見られる。しかし、せっかく先祖が残した過去の災害に危険性を伝える地名も、現代において、市町村合併などさまざま理由から消えている場合も多いという……。

 

■「天災は忘れた頃にやってくる」■

 

これは、物理学者・随筆家の寺田寅彦が発した有名な警句である。震災の記憶が薄れかかっている今だからこそ、「先人の知恵」に思いを馳せるべきなのではなかろうか?

 

震災時代の今だからこそ、ご先祖が1000年以上もの時を越えて、我々子孫に必死に伝えたかった「生き残るためのメッセージ」に、今こそ耳を傾けなければならない。

 

日本は古来より、自然を敬い、自然に同化し、存在を守ってきた。幾たびとなく、自然の脅威にさらされ、都度その経験を子孫に伝えてきた。それが神社仏閣の建立の位置だったり、地名に残されている。頑丈な堤防を随所に作ったが、それらは我々の過信をあざけ嗤うように簡単に津波の侵入を許してしまった。中には堤防があるから大丈夫と批難せず死亡した例も多かったと聞く。現代人はそういう人工物を過信する傾向があるのではないか!?先人の経験・知恵をもっと謙虚に耳を傾けるべきなのではないか!? 無暗に無機質・画一的・お役所的な住所変更なども一考すべきなのではないか!?

 

ご参考 ※『神社は警告する─古代から伝わる津波のメッセージ』(講談社)

 

記事・画像 引用・参考元 Excite News <Tocana>

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