【神社仏閣めぐり】下総国磯部6ヶ寺の一角をなす!西厳寺!遂に拝観の機会を得る! 

歴史探訪

下総国磯部6ヶ寺の一角をなす!西厳寺!遂に拝観の機会を得る!

 

 千曲川村山鉄橋から、長野市側の堤防の上を走る道路を下流に向かって5分ほど走ると、木々の上に大きな屋根が見える。堤防を下り降りたところに、以前から探していた西厳寺があった。本当に千曲川の堤防直下にあるため、過去洪水の被害に幾たびかあったのではないかと思った。

浄土真宗大谷派 以前須坂市の普願寺・勝善寺の稿で書きましたが、この西厳寺も、磯部6ヶ寺に関係するお寺です。浄土真宗開祖親鸞高弟の二十四輩の一人善性が創建した下総国の磯部勝願寺(茨城県古河市)の流れを受け継いで、北信(1寺は越後)に建てられた六つの寺院の内の1つです。

 

この寺が有名なのは浄土真宗再興の祖と言われる蓮如上人との縁が深く、また実際蓮如上人もこの寺に2回立ち寄っています。特に1472年には越後吉崎から草津温泉へ行く道中約2ヶ月間滞在したという記録が残って居る。その縁もあってか、この寺には蓮如像を安置する蓮如堂があり、毎年4月25日に蓮如忌がおこなわれています。境内は人で溢れるとのことです。しかしこの縁日は雨に祟れることが多かったそうで「尻絡げの蓮如忌」として有名だったそうです。[雨で着物を端折って参拝したので]

 

また境内には蓮如上人袈裟掛けのイチョウなるものがありましたが、現在は樹勢が衰えたせいか切られていますが、その切株の脇から新たな幹が育っていました。境内には他に、教如上人第一女智光院妙空禅尼の墓、小林一茶の門人西島士英の碑などがあります。[長沼は小林一茶とも縁が深く、長沼十哲と言われる多くの門弟がいた。集落に句碑が多く点在する]

 

【神社仏閣めぐり】 西厳寺 長野市長沼 下総の国磯部6ヶ寺の流れをくむ寺院

蓮如上人について。本願寺第8世。蓮如[応永22年(1415年) ~ 明応8年(1499年)]は室町時代の僧。・・・異宗や他派に押され劣勢だった浄土真宗本願寺を中興し、現在の礎を築いた。講と呼ばれる組織を築き、宗勢を巻き返した。また親鸞の教えを伝えるため、御文あるいは御文章を認め、本願寺は爆発的に発展し、一向宗と呼ばれるようになった。

しかし磯部6ヶ寺が何故信州の地に集団移転したのか謎だ![それも須坂に2寺も!しかも2寺ともお堂が市の規模に比較して非常に大きい! 序でに言うと須坂市井上にも、長野県最古の浄土宗の寺と言われる浄運寺もこの2寺に匹敵するお堂の大きさである!] 大和族の東征に関係するという墨坂神社[奈良県宇陀に墨坂本社がある]も須坂に2社あり、何か須坂は我々の伺い知れない「秘めたる何か」があるのかも知れない。←大袈裟な!

 

動画 original

画像元 yjimage

「西厳寺 長野市」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)
Yahoo!検索による「西厳寺 長野市」の画像検索結果です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました