みちのく通信 「遠野馬力大会」を見に行くの巻!!!

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みちのく通信「遠野馬力大会」を見に行くの巻!!!

[小生がサラリーマン時代の盛岡赴任時代の記事です!]

昨日TVを見ていたら、明日<24日>遠野で「馬力大会」なるものをやる予定であることを知る。さてその24日、例によって出掛けるのが億劫になる。 それでもと思い、9時ごろ重い腰を上げる。会社にデジカメを置いてきてしまっているので、先ずそれを取りに行く。一寸仕事の片づけをしたら、1時間ほど経ってしまった。馬力大会は、9時半の開始だった筈だから「もう始まっているな」と思い乍らも一旦家に戻ったりして、中々埒があかない。

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一旦は道に迷って4号線を逆方向に走ったりして、ここで又しても時間のロス。 引き返して今度は順調に走る。396号線を南下する。遠野と言えば「民話」で有名なところであるが、何となく青森県との県境の辺にあるのかなと<即ち北の方>漠然と思っていたが、何と盛岡から、陸前高田とか釜石方向に南下するのであった。約60kmの行程。

私はうかつにも、遠野は村かなんかだと思っていたが、<着いて解ったことだが>、レッキとした「市」であった。「民話」という思い込みがそう思わせたらしい。さてその遠野に着いたはいいが、馬力大会の場所が解らない。 遠野に入る頃、ガソリンがギリギリになって、ガス欠が心配なほどだったが、遠野に入るまでは一軒もGSがなかった。馬力大会よりも前に、何とかGSを探す方が先立った。幸い市街地に入ったら直ぐ見つかった。そのGSで場所を聞き出した。幸いにも1kmも無い場所で開催されていた。

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着いたのは丁度12時頃だったが、大会の進行が遅れている模様で、まだ半分くらいの進行だった。 この「馬力大会」というのは、馬が錘のついた橇を付けて走る言わば「障害競馬」の事です。前にニュースかなんかで見たことがあるから大体の見当は付いていた。開催場所は、早瀬川緑地特設馬場。題して「第27回東北馬力大会 馬の里遠野宮守大会」

 

馬は力自慢を主とした用途<?>だから、屈強で足も太い。 サラブレットの約二倍の体重。クラスによって橇に付ける錘<砂袋>の差はあるが、一流馬では、260貫=約975kgの錘が付く。それに橇の重<約200kg>さが加わります。 コースは約120mくらいですが、その間に大小2つの障害物<高さ約3mくらいの岡状の土塁>があります。これを如何に人馬一体となって乗り越えるかが勝敗の分かれ目です。結構迫力がありました。

 

二流馬戦くらいでも、障害物を越えられずに、結構時間が掛かる馬も居ます。制限時間は一流馬戦は7分ですが、その他のレースでは5分です。今日見た限りでは1頭が制限時間をオーバーして失格となりましたが、それでも必死で障害物を乗り越え、最後まで頑張り、ゴールまで漕ぎつきました。観客は約2千人でしたが、皆が「けっぱれ!!!けっぱれ!!!」と最後まで声援を送っていました。 予定より遅れて14時半ごろに終了しました。

 

それからは折角来た遠野ですので、例によって予定を立てて来た訳ではありませんが、市内を回って見ることにしました。

 

先ず行ったのが、「遠野郷八幡宮」 ここは全国で二箇所しかないという、馬場を持ったお宮として有名なところ。流鏑馬などがあるらしい。 広くて緑が綺麗なお宮でした。 そこから少し迷いましたが、福泉寺に行く。これも多宝搭や立派な五重塔などがあるお寺。広い境内で結構歩きました。

 

次に行ったのが、「遠野ふるさと村」 と言っても行ったのは入り口のみで中には入らずじまい。時間も16時を廻る頃だったのでカット。 次に行ったのは、「伝承園」 これも遠野ふるさと村のような感じの所だったけれど、入園してみる。ここで印象に残ったのは、南部曲家。カギ型に曲がった家で人馬一体となって暮らした家です。馬の産地ならではの家の型です。その中の一軒に、「御蚕神堂」=おしら様なるものがあり、壁面一杯に、おしら様<500対>を飾ってあります。結構な迫力。

 

そこを出て、かっぱ淵へ。 ここには「遠野物語」に出てくる、「安倍屋敷」跡・またかっぱをお祀する、祠などもあり、如何にもカッパが居そうな雰囲気の川の流れ。 遠野物語第58話に「馬曳きの子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその馬を引きこまんとし・・・・・」とあり、河童が悪戯をした話が出てくる。これを咎められた河童が、火災の折、<直ぐ裏にある>常堅寺避難した際のお礼のために、お寺をお守りする「狛犬」になったという伝説がある。よく見るとこの狛犬、頭にはチャンとお皿が乗っかっている。 両脇に二体あるのだが、チャンと胡瓜とバナナがお供えしてあった。この常堅寺も由緒のあるお寺らしく山門も立派であった。ここの仁王様は一寸ユーモラスなお姿をしている。

 

再びカッパ淵に戻ったが、幅2mくらいの清流は、何処か昔の農村の古き良き姿を留めていて郷愁を誘われた。もう5時を廻る頃となって、戻るコースを辿る。しかしながら地図を見るとまだまだ見るべきものが多い。 もう入場料を取られるところは、閉まっているので、所謂拝観自由というものしか見れないが、「さすらい地蔵」を見に行く。これも一寸迷ったが直ぐ見つけることが出来た。白幡神社という小さなお宮の中にヒッソリとして横たわっていた。この石物は、珍しい女性の地蔵様である。夜になると台座から抜け出し、若い男衆と遊びまわるという癖があった為、「さすらい地蔵」と呼ばれるようになったという民話が残っているのだとか。 それで今は台座に立っているのではなく、横たわっているのか!!! どうりで地に足がついていない!!! <失礼!!!>

 

ここから帰路につく。ここから10km走った所に、続石なるものがある。 今日貰った「遠野マップ」からの受け売りだが、何かとてつもない巨石物らしい。 それを探しながら車を走らせたが、苦も無く見つけることが出来た。それは道路端にあったのだが、どう見ても巨石とは言い難い。確かに「続石」と書いてあるが迫力に乏しい。よく見ると案内板があり、傍らにある階段を上がり、そこから細い山道を約500m入った所にあるらしい。もう5時半を廻り、いくら暗くないとはいえ、心細い山道。入るのを躊躇したが、それでも「それ行け!!!」とばかり分け入る。人も余り通らないような獣道みたいなところで、一瞬「熊でも出たらどうしよう!!!」といういうな心配をしなくてはならないほどの山道。こんな時間では御免蒙りたい心持。そういえばつい最近、盛岡の国道4号線を横切った熊のニュースが流れたばかりだよう!!! まあ仕方がないので、落ちていた松の枝を手にかざしながら山道を登った。

 

まあ思ったほど時間が掛からず、その「続石」は見つかった。成る程先ほどのそれらしき石は「ミニチア」かあ。全然迫力が違う。 自然石の上に7X5m<実際にはそれ以上あるように見える>の巨石が乗っかっている。下には2つの巨石があるが、間には人が通れるほどの隙間がある。但し上の石は一方の石の上に乗っかっているが、もう一方の石には乗っかっていないで浮いている。見れば見るほど、不思議な石群でした。またここら辺には巨石がゴロゴロ散乱していて、傍には「泣き石」という<単体ですが>大きな石もありました。無事山を降りホッとしたことは言うまでもありません。

 

又ここから100mも行かないところに、千葉家「曲り家」もありましたが、既に閉館。道路から約3・40m上にあるので概観を見るだけに留めました。「日本10大民家」の一つに数えられている200年前の建物だそうです。

 

ここを最後に後は只管走りに走って盛岡まで。道は混まずに意外と早く帰れました。今日は出発するまではマゴマゴしてしまいましたが、帰りは充分満足して帰る事が出来ました。 今回未だ見れずに残したところが、まだまだあるようなので、「遠野」は又行って見るつもりです。 それではまた。 画像は、遠野馬力大会・福泉寺5重の搭・伝承園「オシラサマ」です。 後の画像は次回掲載いたします。

※ ブログに画像の掲載する方法がわかりませんので乗せておりません。あしからず。

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