農薬反対運動を続けて30年 株式会社 りんねしゃ! 日本の夏に昔ながらの逸品・幻の天然除虫菊・蚊よけ線香を復活

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農薬反対運動を続けて30年 株式会社 りんねしゃ! 日本の夏に昔ながらの逸品・幻の天然除虫菊・蚊よけ線香を復活

 

今ではほとんどが化学合成品に圧されてしまった蚊取り線香。そんな中、昔ながらの天然除虫菊にこだわり、無着色、人にやさしい線香が現代によみがえった。除虫菊の栽培から手がけ本来の蚊よけ線香を販売している、りんねしゃ飯尾さんと、製造提携先の工場を訪ねる。そこは、和歌山県海南市下津地区、徳川の時代の豪商、紀伊国屋文左衛門の商いで栄えた港町。東京から新幹線で新大阪経由にて海南駅で乗り換え、下津の駅まで遠路6時間かけて、やっと辿り着いたという感で駅に降り立つ。既に夏の猛暑を予感させる快晴。迎えに来てくれた飯尾さんの車に乗り込み、昔ながらの狭い路地を抜けると直ぐ工場があった。建物を見上げると壁が一面にブラインドのようになっている。そうか暑いから風通しのための知恵?などと考えながら応接間へ通される。実は飯尾さんは農薬反対運動の古参人物であった。オーガニック産直を掲げ30年ほど前から安心で安全な食を追及し続けている。「当時の世の中はオーガニックって何?っていうような調子でした。海外事業の仕事に従事していたこともありまして、特に欧州を訪ねる機会が多かったのですが、オーガニックの畑でふと見ると何かを散布しているんですよ。聞いてみると天然の除虫菊や除虫草を乾燥粉末にして撒いているのですね。」元々除虫菊の生産量は日本が世界一だったそう。残念ながら化学合成の商品の波に押されて今ではほとんど作られていない。

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復活への熱い思いが希少の除虫菊の株へと辿り着く

 

「図書館に行き文献を調べたり、古本屋さんに何か参考になる本はないかと、随分回りました。調べるうちに北海道の農業試験場で以前力を入れていたことが分かり、訪ねたのですが、これまた残念な事に8年前に研究は廃止されていたんです。でも諦められなくて、積極的な研究が行われていた当時の研究員の方を紹介頂きましてね、会いに行きましたよ~」飯尾さんの探究心には関心させられる。「研究員だった方から、とても詳しい資料と株を頂けたんですよ。もう天にも昇る思いでした。」実は飯尾さんは太極拳の師範の資格を持っている。中国との交流も盛んに行ってきたひとり。「日本では廃れてしまったのですが、中国では除虫菊の栽培が行われていました。その栽培方法を見ると日本の研究資料と全く変わらないものでした。でも文化大革命で一切の資料が破棄されてしまい残っていなかったのです。」革命以前のこと、どうやら栽培方法の指導は日本人が行ったとの歴史も垣間見える。飯尾さんは自身の人脈も活かして、除虫菊の無農薬栽培を目指す。同時に北海道の農家との提携も進め、今では双方の原料で作られた、蚊よけ線香「菊花せんこう」が誕生した。中国では約15ヘクタールを栽培。3年前から北海道でも積極的な取り組みが行われている。

 

人にも環境にもやさしい菊花せんこう

 

更に熱く語る「大切なのはやはり安全です。生きものの命に、環境にやさしくなきゃいけないと思うんですよ。化学合成のものはそりゃ効きますが、アレスリンという殺虫剤が入っている。戦後の風通しの良い家屋ならまだしも、現代のしっかりと密閉できる家で使うのはどうかと思います。人間の体に全く害を及ぼさないとは言い切れないでしょう。この物質を多く摂ると健康に害をきたしますよ。除虫菊や除虫草にはピレトリンという天然物質が含まれていてるのですが、これには虫を寄せ付けない性質があります。」このピレトリンは合成のものと違い空気中の分解速度が大変良い。人にもペットにもやさしいという訳。当然都会のマンションなどにも適しているということになる。古来中国の文献からを紐解くと、除虫菊はお香としての活用がなされて来たのが分かる。薬効ハーブとしての活用もなされてきたようである。「最近は若い方からのご注文も多いのですが、何故茶色なのですか?とか、煙がでないのですが?等との問い合わせがありましてね。着色していない植物ですから、当然乾燥させると茶色になります(笑い)煙の件には驚きました・・・点火していなかったんですよ(笑い)」どうやら、便利社会で、古くからの日本文化の伝承は途切れつつあるのだろうか。されど、幸い、復活に頑張っている人達も居る。定期的な使用で、部屋自体の防虫効果も増すという。是非この夏は電気式に頼らない、日本古来の風情と安心安全な香りを楽しもうと思う。

 

廃刊となり現在は存在しない「ザ・ファミリー」の新産直生活掲載記事[小生の部署が担当

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